九州王朝について補足しておきます。
- 北九州は大陸、朝鮮半島に対する表玄関である。
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『古事記』『日本書紀』に九州の地名が頻出する。
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ニニギノ命が天下った先は、「竺紫日向之高千穗」です。筑紫なんですね。しかもその地を愛でて、
「於是詔之、此地者、向韓國、眞來通笠紗之御前而、朝日之直刺國、夕日之日照國也。故、此地甚吉地詔而、於底津石根宮柱布斗斯理、於高天原氷椽多迦斯理而坐也」
と言うわけです。筑紫は韓国に面しているのだから当然ですが、朝日も夕日も照り映えるとあるところから、海岸に近いところだったことがわかります。で、そこに宮を建てて住んだわけです。 - 次に神武天皇が東征に当たり、最初に移動したのは、豊後の宇佐です。次に筑前の岡田の宮に一年います。何をしていたのでしょうね。
- 仲哀天皇は「穴門之豐浦宮」と「筑紫訶志比宮」と二つの宮を営んでいます。なぜ大和ではなくそんなところで宮を営んだのでしょう。熊襲の国を討とうとしたということですが、天皇自ら?
- 應神天皇は日向の髪長姫を娶っています。なぜ大和の天皇がそんな遠いところの姫を娶ったんでしょう。
- 以上は『古事記』からですが、『日本書紀』にはもっと九州のことが出てきます。神代が特徴的ですが、他にも景行天皇の九州巡幸がありますね。これも熊襲を討とうとしたとありますが、天皇自ら?
結論:近畿天皇王朝の祖が九州に住み、その孫である神武天皇も九州から出発して東征している。九州に強大な権力があったことが前提として予想される。 -
ニニギノ命が天下った先は、「竺紫日向之高千穗」です。筑紫なんですね。しかもその地を愛でて、
- 歴史上、重要な神託は宇佐八幡宮よりもたらされている。