売国奴お断り - No Traitors Allowed

日本のことについてとりとめのないことを綴っていくブログです。日本が嫌いな人は見てはいけません

日本の古代史を考える—補足3「神武東征」

2013-06-18 歴史 日本史

神武東征」と言っても今時の若い人どころか、年寄りでも、あああれか、と分かる人は少ないのではないでしょうか。初代天皇、神武天皇が九州を出発して大和へ向かい、天下を治めたという、『古事記』『日本書紀』に収められている話です。ところで「神武東征」どころか第十代の崇神天皇より前は、全部架空の人物に架空の出来事を当てはめた起源説明神話に過ぎないという説が未だ根強いのですが、そんな戯けたことを言う人は、シュリーマントロイヤを発掘した故事をよくよく噛みしめるべきです。

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日本の古代史を考える—補足2「新唐書」

新唐書』は、明らかに『日本書紀』を参照しているし、『新唐書』が書かれた頃には「倭」は「日本」に併呑されて随分経っているから、もういいやと思っていたのですが、一応目だけは通しておくかと思って東夷伝日本条を眺めていたら、意外な表現に出会いました。

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日本の古代史を考える—補足「倭人」について

2013-06-16 歴史 日本史

あちこちウェブで古代日本の資料を渉猟していると、『論衡』に見られる「倭人」は江南人のことで、日本にいた倭人ではないとする主張をよく見かける。というか、皆そういう主張をしていることに驚いた。してみると『論衡』を書いた王充はそれを知らずに引用したのだろうか。王充が生きた後漢時代では「倭」といえば日本のことだったから、知っていれば一言追記したであろうから、知らなかったのだという意見に一応肯けないこともない。しかし、

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事実に基づく歴史を伝えよう

2013-06-16 歴史 日本史

婚姻制度の変遷から日本の古代史と、随分書いてきましたが、その目的は正しい歴史を知ることにありました。正しい=事実に基づいた歴史です。

とはいえ、婚姻制度が原初「族長婚」であったというのは、完全な想像です。ただ、過酷な生存環境にあってヒトの族が生き延びる道はリーダーに委ねられており、その見返りに性が与えられたというのは、全くの妄想であるとも思っていません。ヒトの性欲の強さと常時発情しているという特異性、性欲の強さに比例する以上に強烈な快感は、裏返せばそれほど激烈でなければ極限まで追い詰められたヒトの救いとならなかったことを示します。よく女性の性における快感は男性の比ではないと言いますが、そこまで強固に性への動機付けを女にも必要としたのは、何も出産負担が異常に重いというだけではなく、常時リーダーを挑発して性交させる=緊張を発散させるという必要があったからでしょう。リーダーはそのメンバーの生存に懸ける期待に応えるため、不可能な課題に取り組まざるを得ませんでした。もちろん、全員で取り組んだでしょうが、決定はリーダーが下します。その中で祖霊との対話欲求が言葉を生み出し、同時に宗教を生み出したことを書きました。よくヒトは二足歩行をしたことにより空いた手を使うことを考え出し、そこから道具を発明し、道具の発展が言葉をもたらしたと説明されますが、それは学者の妄想にすぎません。道具を発明するためには、その効果と使用法がまず概念として先行して必要です。その概念は言葉によって支えられています。つまり、初めに言葉ありきなのです。ニホンザルやチンパンジーにおける実験や観察でも明らかなように、道具を使えるからといって言葉を生み出すことはできません。このまま気が狂って死んでしまうのではないかというくらい、何百万年も頭脳を酷使し続けたことが、言葉を見いだし、宗教を見いだし、遂には道具を見いだしたのです。

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日本の古代史を考える—⑳上宮法皇と聖徳太子

2013-06-15 歴史 日本史

法隆寺の金堂に安置されている釈迦三尊像の光背に次の文章が刻まれています。(右から縦書きしています)

法興元丗一年歳次辛巳十二月鬼 前太后崩明年正月廿二日上宮法 皇枕病弗悆干食王后仍以労疾並 著於床時王后王子等及與諸臣深 懐愁毒共相發願仰依三寳當造釋 像尺寸王身蒙此願力轉病延壽安 住世間若是定業以背世者往登浄 土早昇妙果二月廿一日癸酉王后 即世翌日法皇登遐癸未年三月中 如願敬造釋迦尊像并侠侍及荘嚴 具竟乗斯微福信道知識現在安隠 出生入死随奉三主紹隆三寳遂共 彼岸普遍六道法界含識得脱苦縁 同趣菩提使司馬鞍首止利佛師造

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日本の古代史を考える—⑲壬申の乱

2013-06-14 歴史 日本史

さて、天智天皇は即位してみると、大海人皇子の影響力が大きくなっていることに改めて危惧を抱いたかも知れません。「大皇弟」という尊称を奉った大海人皇子は、自分の後を継ぐ大友皇子を大きく引き離しています。オオキミが捕虜になったとは言え、「倭國」はなくなってしまったわけではありません。中大兄皇子としては倭國と修好し、あるいは倭國の力を引き出すのに、大海人皇子は得がたい協力者でした。また、国内統治という点でも、軍備という点でも[大海人皇子]https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87()と皇子に随従してきた官僚たちは、卓越した識見を示し、事態の収拾と政策の実現に奔走してくれました。感謝してもしきれないとはこのことです。

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