<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom"><channel><title>売国奴お断り - No Traitors Allowed</title><link>https://notraitors.com/</link><description>Recent content on 売国奴お断り - No Traitors Allowed</description><generator>Hugo -- gohugo.io</generator><language>ja</language><lastBuildDate>Thu, 06 Aug 2026 11:30:00 +0900</lastBuildDate><atom:link href="https://notraitors.com/index.xml" rel="self" type="application/rss+xml"/><item><title>男女平等の実現へ向けて</title><link>https://notraitors.com/posts/2026-08-06-gender-equality/</link><pubDate>Thu, 06 Aug 2026 11:30:00 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2026-08-06-gender-equality/</guid><description>&lt;p&gt;令和の今になっても男女平等に関する議論が已まないということは、若い頃を昭和で過ごした世代からすると、進展が遅くて焦れるなぁという感想を持ってしまいます。男女平等思想が教育されるようになったのは、戦後すぐであり、今の 70代、80代の世代だって当然そう教育されましたし、だから安保闘争とか、全共闘運動とかでも女性の参加が多かったのです。ところがじゃあ大多数の実態は？っていうと「男は外で仕事、女は家庭に入って家事に従事する」という昔ながらの価値観に縛られ、女に学はいらんと言い放つ親世代に、そうそうその通りと迎合する男までいた始末。その反省か、さらにその一世代下の私たちは、絶対に平等！ということを徹底的に刷り込まれました。ところがぎっちょん、平等なのはいいとして、で、何をすればいいの？となると百花繚乱。共働きなら家事を折半するというのは、私たちの少し上の時代から言われてたのですが、これがさっぱり守られない。というより、朝から深夜まで仕事してそんな余裕が男に生まれない。で、女性はというと暗くなると危ないからとかなんとかで必ず定時上がり。何かおかしくね？と思うまもなくバブルに突入して、24 時間闘えますか？を地でいく仕事状況になってそれどころじゃなくなりました。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;さて、その後のバブル崩壊、平成不況を乗り越えて令和の今に至るわけなのですが、男女平等を実現するための努力は続けられていました。それだけならそういう不断の努力がひとつずつ実を結んで社会が改善されていくんだよね、よきよき。となるところですが、何やら雲行きが怪しい様子。実態はどうなのか、どうすれば現状がさらに改善するのかを &lt;a href="https://gemini.google.com/app/?hl=ja"&gt;Gemini&lt;/a&gt; を相手に考察してみました。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>今こそ痴漢撲滅に本気になろう</title><link>https://notraitors.com/posts/2026-08-05-now-is-the-time-to-commit-to-eradicating-groping/</link><pubDate>Wed, 05 Aug 2026 22:30:00 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2026-08-05-now-is-the-time-to-commit-to-eradicating-groping/</guid><description>&lt;p&gt;痴漢は卑劣な犯罪です。そして、痴漢の8割ほどは混雑した電車内で行われています。混雑するのは始業時間が重なっているのだから仕方がないと思っていませんか？その陰で痴漢被害にあって屈辱を覚えた女性や PTSD を発症して社会生活に困難を覚えることになってしまった女性にそんなことを言えますか？私には無理です。そこで、Gemini と一緒にどうすればこの問題を根本的に解決できるのか議論してみました。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>資本主義社会における農業の健全化へ向けて</title><link>https://notraitors.com/posts/2026-08-04-achieving-economic-soundness-in-agriculture/</link><pubDate>Tue, 04 Aug 2026 14:10:00 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2026-08-04-achieving-economic-soundness-in-agriculture/</guid><description>&lt;p&gt;日本の食料自給率は、カロリーベースで 38% しかありません。その状態で食糧安全保障と言っても絵空事です。昨年、米価が突然2倍以上値上がりし、給与水準が上がったわけではないので多くの消費者はそれまでと同様にはお米を買えなくなりました。大正時代なら、米を食べる以外に栄養を摂取する方法がなかったので、&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/1918%E5%B9%B4%E7%B1%B3%E9%A8%92%E5%8B%95"&gt;富山の米騒動&lt;/a&gt;という暴動が起きました。令和の今、同じように米騒動といっても暴動が起きたわけでも非常識な業者叩きや農家叩きがあったわけでもありません。そして、米中心の食生活から小麦製品に振り替えても、何も問題がないことを消費者は学習してしまいました。消費者にとって、お米は主食ではなく、高価な嗜好品になってしまったのです。一度こうなればどれだけ値下げしようと消費者は還ってこないのではないかと考えています。もはやいくら米の自給率が 100% を達成したとしても食べる人が激減してしまったなら意味をなしません。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;自民党は長らく&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%9B%E5%8F%8D%E6%94%BF%E7%AD%96"&gt;減反政策&lt;/a&gt;を進め、米価を高値誘導してきました。食糧安全保障というなら、むしろ余りすぎて売り先を海外に求めるくらい増産しておかないと米だけで充分なカロリーを摂取することができないはずですが、目先の票に釣られて零細農家を甘やかし続けた結果、諸外国から日本に食料を輸出するほど余裕がない、と言われれば餓死する日本人が続出しかねない状態にしてしまいました。戦後自民党の大失政以外の何ものでもありません。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>男尊女卑はどこから生じたのか</title><link>https://notraitors.com/posts/2026-07-13-what-are-the-causes-of-gender-discrimination/</link><pubDate>Mon, 13 Jul 2026 17:10:00 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2026-07-13-what-are-the-causes-of-gender-discrimination/</guid><description>&lt;h5 id="導入なぜ世界中で判で押したように男尊女卑が生まれたのか"&gt;導入：なぜ世界中で「判で押したように」男尊女卑が生まれたのか？&lt;/h5&gt;
&lt;p&gt;「人類が狩猟採集から農耕社会へ移行したとき、世界中の多くの民族でドミノ倒しのように男性優位の社会（&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%B6%E7%88%B6%E9%95%B7%E5%88%B6"&gt;家父長制&lt;/a&gt;）が形成された」&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;これは歴史学や人類学で広く認められている事実です。かつては比較的平等だった社会が、なぜ農耕によって男尊女卑へと傾いたのでしょうか。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;これには、「男性のほうが力が強いから」という単純な理由ではなく、人類の生存をかけた「冷酷な生存戦略」があったと考えられます。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>共同体を名乗る企業に縁があったらここを突け</title><link>https://notraitors.com/posts/2026-07-12-ask-this-to-the-company-that-self-styled-community/</link><pubDate>Sun, 12 Jul 2026 00:05:40 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2026-07-12-ask-this-to-the-company-that-self-styled-community/</guid><description>&lt;p&gt;昨今、共同体を名乗る企業がぽつぽつと出てきている。ただし、その多くは&lt;strong&gt;共同体などではない&lt;/strong&gt;。共同体とは何か、どんな歴史があるのか、そしてなぜ昨今の企業が共同体を騙っていると断定できるのか。この記事ではそれを論考しようと思う。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;時代的には&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%84%E6%96%87%E6%99%82%E4%BB%A3"&gt;縄文時代&lt;/a&gt;あるいはそれ以前の&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%99%A8%E6%99%82%E4%BB%A3"&gt;石器時代&lt;/a&gt;、人類は血縁集団＝氏族でまとまって暮らし、食料を調達して、移動もした。その頃の宗教は祖霊礼拝とそれを伴うアニミズムであり、祖霊＝神であり、自然物には別の神＝精霊が宿っていたり、自然現象を起こすのも別の神＝精霊が起こすものとされていた。自然＝神は人間に食料と言う貴重なリソースを提供するありがたい存在であり、一方で猛威を振るって集団を窮地に追い込む恐ろしい存在でもあった。最終決定権はリーダーが持っており、リーダーの決断に集団は従うという規範があったが、それでも集団の構成員は必死で議論し、全力で生き延びる算段をつけそれを実行した。リーダーが決しかねる問題は、祖霊＝神降ろしや祖霊＝神の言葉を伝達する役目が与えられていたシャーマンが担った。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;この血縁による共同体は「&lt;strong&gt;性&lt;/strong&gt;」と「&lt;strong&gt;死&lt;/strong&gt;」を包含していた。子どもが産まれないと集団が将来的に維持できなくなるし、現代人同様、病気や老いて仕事ができなくなった老人を見捨てることはなかった。もちろん、それを証明する一次資料は存在しないが、文化人類学による狩猟採集民の血縁集団共同体ではその紐帯が非常に強固であることが示されている。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>コメの暴騰は資本主義に対する反乱です</title><link>https://notraitors.com/posts/2026-07-05-rice-price-should-be-low/</link><pubDate>Sun, 05 Jul 2026 15:23:15 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2026-07-05-rice-price-should-be-low/</guid><description>&lt;p&gt;　戦後、食料品としてのコメの需要は減り続けている。政府は&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%9B%E5%8F%8D%E6%94%BF%E7%AD%96"&gt;減反を政策&lt;/a&gt;とし、需要に見合う量に生産を限定させ、米価が暴落して農家が廃業せざるを得なくなる事態を防いできた。&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%9B%E5%8F%8D%E6%94%BF%E7%AD%96"&gt;減反政策&lt;/a&gt;は既に放棄されたが、コメの需要は減り続けている。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/1918%E5%B9%B4%E7%B1%B3%E9%A8%92%E5%8B%95"&gt;富山の米騒動&lt;/a&gt;の頃は、主食として食べられるものはコメしかなかった。従ってそのコメが暴騰したら飢え死にするしかない。だから民衆は立ち上がって暴動を起こし米屋や米問屋を襲撃して、コメを寄越さねば打ち壊して勝手に持っていくと脅した。騒動を治めるために、警察官が間に入って騒動前の価格で販売してここはみんなを落ち着けるべきだ、死んだら元も子もないだろう？となかば脅す形で問屋の主を説得し、民衆に以前の相場で販売するということで事無きを得た例もある。民衆の要求に一切の相手をしなかった問屋もいたが、家も店も倉も全部打ち壊された。もちろんコメは全部持っていかれた。バカな奴もいたものである。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/1993%E5%B9%B4%E7%B1%B3%E9%A8%92%E5%8B%95"&gt;平成の米騒動&lt;/a&gt;では、確かに値上がりしたが、この時も卸売業者の売り惜しみがあったことがわかっており、消費者の反発を招いている。翌年は豊作だったのでコメ価格は低落し、元の価格に落ち着いた。ただし、影響はそれだけでなく、世界中から日本が原因でコメ価格が上がったと突き上げられ、米の輸入自由化をせざるを得なくなり、高い関税をかけることはできたものの、自由化自体は呑むしかなかった。&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BF%E5%BA%9C%E5%82%99%E8%93%84%E7%B1%B3"&gt;備蓄米制度&lt;/a&gt;もこの時作られている。終わってみれば、業界は自分の首に縄をかけただけにすぎなかった。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　コメの需要が減り続けているということは統計にも現れている。次のグラフをご覧頂きたい。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>効果的な性教育を AI と考えて見る</title><link>https://notraitors.com/posts/2026-07-04-sex-ed/</link><pubDate>Fri, 03 Jul 2026 23:00:00 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2026-07-04-sex-ed/</guid><description>&lt;p&gt;例によって &lt;a href="https://gemini.google.com/app/"&gt;Gemini&lt;/a&gt; にお題を与えて思春期の子供たちに対する適切な性教育としてどんなことができるか、を討論してみました。最初に与えたプロンプトは次の通りです。&lt;/p&gt;
&lt;p style="color:rgb(64, 128, 80); border:1px solid rgb(128, 192, 144); border-radius:0.5em; padding:0.5em; line-height:1.5em; width: 80%; margin-left: 20%;"&gt;
中学三年生または高校一年生の二学期後半の時期を想定し、今から保健体育の授業をします。生徒は男子十五人、女子十五人とします。教科担任の教師は別におり、あなたは担当教師とは別の大人として参考意見を述べるために呼ばれた別の教科を担当する既婚で中年の女性教師です。生徒から個人的な事柄の質問が出てもあなたはノーコメントとしか言いません。ただし、一般論として様々な感想を口にすることができます。
&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;
今から述べるのはかなりの極論です。性教育を行うにあたり、インターネットで年齢制限がクリアしていれば視聴できる日本人の男女が全裸で絡み合う無修正のポルノ動画を生徒や担当教師と一緒に視聴します。担当教師はまず男子と女子を指名して感想を述べさせます。明らかに男子は興味津々で中には性的に興奮している生徒もいるようです。ここで、担当教師は、今視聴した映像はほとんど現実にはありえないファンタジーのようなもので、実際の性交とは全然違うと指摘し、女子に素直に思ったことを述べるよう促します。女子は押し並べて「気持ち悪い」「あんなのが気持ちいいと男子は本当に考えているのか」などぼろくそに言うでしょう。そこで担当教師はあなたに感想を求めます。あなたも「現実の性交とはまったく違う。同じことを実際にしたら女性に」と応える。一人の男子が「先生はどうでしたか」と実体験を話させようと逆に質問してくるが、あなたは「ノーコメント」としか言わない。そして担当教師が性交が持つ本来の意味、ポルノ動画は男性の妄想を助長するためにおおげさだったり実際には絶対女性がしないことをしているなど動画はあくまで空想上のもので、実体験には何の役にも立たないと断定する。その後、男女あわせて性について考えさせ、討論させる。
&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;
このようなことをシミュレートした場合、生徒に対する影響（良いものも悪いものも）として考えられる点をすべて回答してください。
&lt;/p&gt;</description></item><item><title>フェミニズムを実現するための婚姻様式とは？</title><link>https://notraitors.com/posts/2026-07-03-marriage-style-for-true-feminists/</link><pubDate>Fri, 03 Jul 2026 17:15:00 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2026-07-03-marriage-style-for-true-feminists/</guid><description>&lt;p&gt;生物学上の差異によるものを除く、完全に対等な男女関係というものが存在するならば、まず多数派が属するであろう男女関係—すなわち婚姻関係—は、思想的、倫理的にどうあるべきかをまず考えることが必要でしょう。観念的でしかなかったり、個別事情的すぎる判断ばかりでは、社会を運営していくことはできません。確固たる背景思想、断固とした倫理観、その二本柱に貫かれた、最低でも世紀単位で現実に運用可能な様式の確立は、きっと実りある人類の将来と約束された輝かしい男女関係の成果をもたらしてくれるに違いありません。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;意外と知らない人が多いのですが、実は男女の婚姻関係には実に多様な歴史があり、日本だけを見ても複数の婚姻関係が過去に存在したことがわかっています。あるべき未来を議論する前に、まず過去にどんな例がありそれがどういう由来で、どのような結果に繋がったかを知っておくことが必要でしょう。日本の婚姻史の概要については、「&lt;a href="https://notraitors.com/sexual-social-relationship/"&gt;日本婚姻史概説&lt;/a&gt;」という記事を既にまとめてありますが、いささか単線式分類の時系列で分割しすぎたきらいがあり、より網羅的で階級差も考慮した歴史を見ておきたいと思います。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>AI が変える労働市場の将来</title><link>https://notraitors.com/posts/2026-06-25-the-job-market-in-the-era-of-ai/</link><pubDate>Thu, 25 Jun 2026 20:00:00 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2026-06-25-the-job-market-in-the-era-of-ai/</guid><description>&lt;p&gt;AI が普及すると労働市場はどう変わるのでしょうか。アメリカでは実際にホワイトカラーの新卒雇用が影響を受けており、企業は採用枠を縮小したり、レイオフを行っているという情報があります。日本はまだそこまで目立った動きはありませんが、いずれ同じ道を辿るかもしれません。そこで、AI 自身はこの問題についてどんな回答を返すか面白そうだと思ったので &lt;a href="https://chatgpt.com/"&gt;ChatGPT&lt;/a&gt; と対話して見ました。まず、AI 企業は今のところ大赤字を垂れ流しながら資金を調達してシェアを獲得しようと務めています。今のところどこにも黒字になった企業はありません。そこで、AI 企業は本当に黒字化できるのか、持続可能なビジネスモデルなのか、から質問を始めてみました。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>スマホ、ゲーム機、親の心配、子の遊び</title><link>https://notraitors.com/posts/2026-06-22-gaming-children-parents/</link><pubDate>Mon, 22 Jun 2026 18:50:00 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2026-06-22-gaming-children-parents/</guid><description>&lt;p&gt;　昨今、どんなに強請られても子どもにまったくゲームを与えなかった母親が自画自賛する投稿を新聞に投書したり、スマホ中毒、ゲーム中毒を心配するあまり子どもにお節介を焼く大人がいたり、かと思えば子どもが親に無断で何十万、何百万と課金したことがバレて騒ぎになったり、一方で廃課金者と呼ばれる子ども以上にどうしようもない大人もいたりと、デジタル機器周りが何かと騒がれることが少なくない。そこで、筆者（2026 年時点で 65 歳）の子ども時代の振り返りも交えながら、&lt;a href="https://gemini.google.com/app/"&gt;Gemini&lt;/a&gt; と対話してみた。以下はその記録である。&lt;/p&gt;
&lt;p style="color:rgb(64, 128, 80); border:1px solid rgb(128, 192, 144); border-radius:0.5em; padding:0.5em; line-height:1.5em; width: 80%; margin-left: 20%;"&gt;
　ゲームは子どもには無駄もしくは有害なので絶対に買い与えないという親の話を稀に聞きます。ゲームをするくらいならその時間に今しか体験できないことをするべきという意見もあるようですが、同世代の子どもの多くがゲーム機を持っていてその話題で盛り上がっている友達の話についていけないのは、子ども時代の体験価値を損ねる気もするのですが、このような親の風潮は日本にだけ見られるものでしょうか。それとも世界的に同じ意見を持つ親は多いのでしょうか。
&lt;/p&gt;</description></item><item><title>私有制度、身分の誕生</title><link>https://notraitors.com/posts/2026-06-22-private-property-and-ranks/</link><pubDate>Mon, 22 Jun 2026 07:00:00 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2026-06-22-private-property-and-ranks/</guid><description>&lt;p&gt;　昨今、私たちは買われたとか、性的搾取とか消費とか、女性の女性性を問題とする疑念がよくフェミニスト界隈でかますびしいが、驚くほど誰も現在の性的価値の源泉や、その商品価値の由来を問題にせず、あくまで自らを商品としてしか捉えていない底の浅い議論ばかり見かけるので、一体性的価値の本質とは何か、性の売買には煩い輩も婚姻となると（同じく性交を伴うのに）祝福するこの構造が何によってきたるものなのか、試行錯誤してみました。今回も論点の整理のために &lt;a href="https://gemini.google.com/app"&gt;Gemini&lt;/a&gt; を使用しています。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　性の売買が現代でも成立するのは、性が商品でもあるからです。だから女性が自らそれを売っても大きな問題にする人は少ない。よく買う男がいるからバカな女、もしくは騙された女が売るのだという稚拙な議論とすら呼べないへ理屈を言う者が絶えませんが、そもそも価値がある商品なのだから売買が成立するのであって、河原の小石程度の価値もなかったら誰も売買などしないでしょう。同様にこれがたとえば皇族と言う身分ならどうか。もはや売買が成立するはずもない高みにあるものも同様です。いやそれは身分であって物じゃないというなら、核兵器に置き換えても構いません。つまり、商品経済で流通可能な程度の価値がある／しかないから売るものと買うものが現れるのです。ではその根源は何でしょうか。そもそも性が商品価値を持つ＝私有物ということです。となれば、私有物ひいては私有と言う概念がどうやって登場したのかを論じないと根本的な議論になりません。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;　現代経済は私有制度を基盤としています。だから私有物を売買できるのです。そこでまず私有制度はどうやって成立したかを考えます。&lt;a href="https://gemini.google.com/app"&gt;Gemini&lt;/a&gt; に次の疑問を投げてみました。&lt;/p&gt;
&lt;p style="color:rgb(64, 128, 80); border:1px solid rgb(128, 192, 144); border-radius:0.5em; padding:0.5em; line-height:1.5em; width: 80%; margin-left: 20%;"&gt;
私有制度は直系血族への財産の相続のために生まれたという説が一般的なようですが、私有制度の誕生について今現在どのような議論がなされているのでしょうか。
&lt;/p&gt;</description></item><item><title>言語の発祥について AI と一緒に考えてみた</title><link>https://notraitors.com/posts/2026-06-15-the-origin-of-language/</link><pubDate>Sun, 14 Jun 2026 22:00:00 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2026-06-15-the-origin-of-language/</guid><description>&lt;p&gt;言語の起源について、&lt;a href="https://gemini.google.com/app"&gt;Gemini&lt;/a&gt; に質問を投げつつ、疑問点や問題点を整理して自説を考案してみました。まずは、&lt;a href="https://gemini.google.com/app"&gt;Gemini&lt;/a&gt; への質問。&lt;/p&gt;
&lt;p style="color:rgb(64, 128, 80); border:1px solid rgb(128, 192, 144); border-radius:0.5em; padding:0.5em; line-height:1.5em; width: 80%; margin-left: 20%;"&gt;
人類の言語の発祥として今現在どのような説が議論の俎上 にのぼっているのでしょうか。代表的な仮説を列挙していただけませんか。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;これに対して &lt;a href="https://gemini.google.com/app"&gt;Gemini&lt;/a&gt; の回答は以下の通り。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>死刑廃止論者・死刑存置論者に考えてほしいこと</title><link>https://notraitors.com/posts/2026-06-11-about-death-penalty/</link><pubDate>Fri, 12 Jun 2026 01:00:00 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2026-06-11-about-death-penalty/</guid><description>&lt;p&gt;未だに&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E5%88%91%E5%AD%98%E5%BB%83%E5%95%8F%E9%A1%8C"&gt;死刑廃止論者&lt;/a&gt;と&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E5%88%91%E5%AD%98%E5%BB%83%E5%95%8F%E9%A1%8C"&gt;死刑存置論者&lt;/a&gt;の議論が続いている。私はどちらかというと&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E5%88%91%E5%AD%98%E5%BB%83%E5%95%8F%E9%A1%8C"&gt;死刑存置論者&lt;/a&gt;だが、いったん、その前提を置いて、&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E5%88%91"&gt;死刑&lt;/a&gt;というもの、&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%A4%E7%BD%AA"&gt;冤罪&lt;/a&gt;、そして&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E5%88%91"&gt;死刑&lt;/a&gt;判決を受けたもの、その家族、被害者、被害者家族、司法関係者について考えてみたい。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;当たり前だが、&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E5%88%91"&gt;死刑&lt;/a&gt;と言うのは国家が合法的に犯罪を犯したものを殺す、つまりこの世から退場を強制する刑罰である。一度執行されると、&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E5%88%91"&gt;死刑&lt;/a&gt;方法が未熟であった昔ならともかく、今現在、その死を取り消すことはできない。もし後にそれが&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%A4%E7%BD%AA"&gt;冤罪&lt;/a&gt;であると判明しても、もはや失われた命は戻ってこない。この取り返しのつかなさが&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E5%88%91%E5%AD%98%E5%BB%83%E5%95%8F%E9%A1%8C"&gt;死刑廃止論者&lt;/a&gt;の主な論拠である。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>プラットフォームを刷新</title><link>https://notraitors.com/posts/2022-11-09-move-to-hugo/</link><pubDate>Wed, 09 Nov 2022 21:51:59 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2022-11-09-move-to-hugo/</guid><description>&lt;p&gt;&lt;a href="https://ja.wordpress.org/"&gt;Wordpress&lt;/a&gt; の更新チェックが面倒臭くなったので、さくっと &lt;a href="https://gohugo.io/"&gt;Hugo&lt;/a&gt; にプラットフォームを変更しました。元のコメントとかも移せればよかったのですが、私の拙い技術力では如何ともし難く…誠に申し訳ない。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>NHK さんやらかす</title><link>https://notraitors.com/posts/2022-10-20-nhk/</link><pubDate>Thu, 20 Oct 2022 21:01:21 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2022-10-20-nhk/</guid><description>&lt;p&gt;NHK がやらかしそう。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;何のことかは語るまでもないでしょう。未契約者や未払い者からは二倍の視聴料を徴収するとかほざいている件である。自分から首絞めに行ったかあと思うが、ちょうどいいトリガーになるんじゃないかと思ってる。テレビ離れが進んで今のラジオみたいにコアな趣味人だけが視聴する媒体になるきっかけになるだろうと。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そもそも受信機を設置したら日本放送協会と契約しなくてはならないとしたのは、&lt;strong&gt;戦前&lt;/strong&gt;のスクランブル技術なんて欠片もなかった時代に受益者負担の原則から施行されたものが始まりです。当時ラジオは高級贅沢品で、有名な「終戦の詔勅」放送を村や街の近所の者が集まって訊いているシーンなんかを映画で見たことがある人もいると思いますが、そんな各家庭に一台ずつなんて高くて買えないものだったんです。だから受益者負担も当然だったんです。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>南京事件について – 反省</title><link>https://notraitors.com/posts/2018-07-03-nankinjiken/</link><pubDate>Tue, 03 Jul 2018 20:55:40 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2018-07-03-nankinjiken/</guid><description>&lt;p&gt;ひょんなことから、以下のサイトの存在を知った。今更かよ、と思われても仕方ない。不勉強を恥じるばかりである。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;a href="http://yu77799.g1.xrea.com/"&gt;南京事件－日中戦争　小さな資料集&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;事実がよく整理されており、必見のサイトである。よくある問題点も整理されており、南京事件の実在について丁寧に議論されている。思想の左右はあれども、諸氏はまずこのサイトを読んで、しかる後に事実に基づいて議論されたい。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>Twitter さん、やらかす</title><link>https://notraitors.com/posts/2018-04-10-twitter/</link><pubDate>Tue, 10 Apr 2018 20:52:23 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2018-04-10-twitter/</guid><description>&lt;p&gt;Twitter アカウント、@mzch が凍結された。問題とされたのは以下の内容のツイート。&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;
&lt;p&gt;戦前も戦後もなにかにつけ暴力で物事を解決しようとするのがサヨクの特徴。逆らえば殺す、が連中の信条。昨今右傾化といわれているのも、若者が常識に従うようになっただけ。老害パヨクはとっと死ね！ &lt;a href="https://t.co/XOBUsPw7DY"&gt;https://t.co/XOBUsPw7DY&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;
&lt;/blockquote&gt;</description></item><item><title>歴史を捏造する中国と韓国</title><link>https://notraitors.com/posts/2013-08-20-china-and-korea/</link><pubDate>Tue, 20 Aug 2013 20:46:00 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2013-08-20-china-and-korea/</guid><description>&lt;p&gt;まずは中華人民共和国。代表は「南京大虐殺」。私は、&lt;a href="https://www.amazon.jp/dp/4022608056"&gt;本多勝一『中国の旅』&lt;/a&gt;も読んだが、南京大虐殺に関する部分はすべて本人証言だけで構成されており、悪意を以て日本を貶めようとした書であると断定する。この本は中国の南京大虐殺プロパガンダの引き金となった本であり、これだけで朝日新聞社は日本国民に対して謝罪と賠償を行った上で、国際社会に対して弁明を行う責任があるが、知らん顔をしている。さすが、日本を第二次世界大戦へ大衆を煽り駆り立て戦意を高揚させておきながら、GHQ のお咎めを受けることを畏れて軍部に全責任をなすりつけた無責任新聞社だけある。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>ネトウヨとは何か?</title><link>https://notraitors.com/posts/2013-08-14-netouyo/</link><pubDate>Wed, 14 Aug 2013 20:30:40 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2013-08-14-netouyo/</guid><description>&lt;p&gt;答え：ネトウヨなどいない。Q.E.D.&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;最近、友人連中と話をしていると「ネトウヨ」とか言うんだっけ? と問い返される機会が増えている。それも大学時代の友人からも聞かれたので、正直がっくりきた。私はコミュニストに近い思想の持ち主である。しかし現実の共産主義者は独裁主義者であり全体主義者であり、故国を破壊して顧みないので激しく嫌悪している。正直、あんな腐った連中に共産主義を標榜しないでもらいたい。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>日本人の原点に農耕はない</title><link>https://notraitors.com/posts/2013-08-13-not-noko/</link><pubDate>Tue, 13 Aug 2013 20:17:06 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2013-08-13-not-noko/</guid><description>&lt;p&gt;次のブログ記事が、&lt;a href="https://tumblr.com/"&gt;Tumblr&lt;/a&gt; でリブログされているのを見かけました。
&lt;a href="https://shinjihi.hatenablog.com/entry/2013/08/13/165545"&gt;https://shinjihi.hatenablog.com/entry/2013/08/13/165545&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;このブログの著者の言わんとしていることはわかるし、それは大いに肯定したいところなんだけど、いかんせん論拠が正しくなくては全面的に賛成とは言えなくなってしまいます。なぜなら、日本人の気質の淵源として「農耕」が挙げられていますが、それが全て間違いなので仕方がありません。以下、各論にて示します。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>『中国正史』に見える古代日本</title><link>https://notraitors.com/posts/2013-08-11-chinese-historiographyk/</link><pubDate>Sun, 11 Aug 2013 20:10:20 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2013-08-11-chinese-historiographyk/</guid><description>&lt;p&gt;「『&lt;a href="https://notraitors.com/china/"&gt;中国正史』に見える古代日本&lt;/a&gt;」を作成しました。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>自民党依存症</title><link>https://notraitors.com/posts/2013-08-07-jiminto-izonsho/</link><pubDate>Wed, 07 Aug 2013 19:49:05 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2013-08-07-jiminto-izonsho/</guid><description>&lt;p&gt;最近、&lt;a href="https://www.jimin.jp/activity/colum/116667.html"&gt;自民党の改憲案&lt;/a&gt;を腐してるツイートに突っ込んだら&lt;a href="https://togetter.com/li/544735"&gt;軽くバトル&lt;/a&gt;になってしまった。要は観念サヨク特有の「何が何でも&lt;a href="https://www.jimin.jp/"&gt;自民&lt;/a&gt;は悪い」という聞き飽きた文句の繰り返しである。&lt;a href="https://news.livedoor.com/article/detail/7920334/"&gt;麻生財務大臣のナチ発言捏造&lt;/a&gt;など、マスゴミも&lt;a href="https://www.dpj.or.jp/"&gt;売国政党民主党&lt;/a&gt;を大絶賛していた過去を正当化するために、いや、おそらくはそんなことなどけろりと忘れて、自民バッシングに余念が無い。マスゴミが腐っているのは戦前からだからもうどうしようもなく、立ち枯れさせてしまうしかないが、売国サヨクもひどさは勝るとも劣らずのレベルであることを再確認した。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>『日本婚姻史概説』を公開しました</title><link>https://notraitors.com/posts/2013-07-13-marital-history/</link><pubDate>Sat, 13 Jul 2013 19:27:56 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2013-07-13-marital-history/</guid><description>&lt;p&gt;『&lt;a href="https://notraitors.com/sexual-social-relationship/"&gt;日本婚姻史概説&lt;/a&gt;』を公開しました。ぜひご覧になって感想をおよせ下さい。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>日本の古代史を考える—補足7『論衡』</title><link>https://notraitors.com/posts/2013-06-30-ronkou/</link><pubDate>Sun, 30 Jun 2013 19:10:04 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2013-06-30-ronkou/</guid><description>&lt;p&gt;後漢時代に王充が著した『論衡』は、当時流行していた讖緯説・陰陽五行説に基づく迷妄虚構の説・誇大な説などの不合理を徹底的に批判した書物です。ですので、以下の記述を虚妄であると片付けることはできません。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;span style="font-size:x-large;"&gt;&lt;strong&gt;&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%91%A8_%28%E7%8E%8B%E6%9C%9D%29"&gt;周&lt;/a&gt;之時　天下太平　倭人來獻暢&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt; 草 (第五卷　異虚第十八)&lt;br /&gt;
&lt;span style="font-size:x-large;"&gt;&lt;strong&gt;&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%91%A8_%28%E7%8E%8B%E6%9C%9D%29"&gt;周&lt;/a&gt;時天下太平　&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%8A%E8%A3%B3"&gt;越裳&lt;/a&gt;獻白雉　倭人貢鬯草&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt; (第八卷　儒增第二十六)&lt;br /&gt;
&lt;span style="font-size:x-large;"&gt;&lt;strong&gt;&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E7%8E%8B_%28%E5%91%A8%29"&gt;成王&lt;/a&gt;之時　越常獻雉　倭人貢暢&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt; (第十九卷　恢國第五十八)
&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;</description></item><item><title>日本の古代史を考える—補足6『魏略』</title><link>https://notraitors.com/posts/2013-06-26-giryaku/</link><pubDate>Wed, 26 Jun 2013 17:42:14 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2013-06-26-giryaku/</guid><description>&lt;p&gt;『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F%E7%95%A5"&gt;魏略&lt;/a&gt;』は&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%9A%E8%B1%A2"&gt;魚豢&lt;/a&gt;によって編まれた書物で、元々は『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%BF%97_%28%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E6%9B%B8%29"&gt;三国志&lt;/a&gt;』「魏書」と同じ資料を参照して書かれたものだと思われます。現在は写本も伝わっておらず、後の書物に引用された部分が残されている程度です。書かれた年代も&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F_%28%E4%B8%89%E5%9B%BD%29"&gt;魏&lt;/a&gt;末から&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%99%8B"&gt;晋&lt;/a&gt;初ということしかわかっておらず、具体的な編年については定まっていません。ところがその後世に引用された部分に、倭のことが比較的多く出てくるので、日本では早くから注目された書物でもあります。以下、倭に関する引用部分の原文、訓読、現代語訳をあげます。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>婚姻制度の歴史を考える—⑦禁婚</title><link>https://notraitors.com/posts/2013-06-25-marital-history-7/</link><pubDate>Tue, 25 Jun 2013 17:03:35 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2013-06-25-marital-history-7/</guid><description>&lt;p&gt;婚姻を考察する上で、必ず考慮しなくてはならない要素に「禁婚」がある。文字通り、結婚してはいけない相手を定めることである。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;現在の日本においては、&lt;/p&gt;
&lt;ul&gt;
&lt;li&gt;民法734条「直系血族又は３親等内の傍系血族の間では、婚姻をすることができない。ただし、養子と養方の傍系血族との間では、この限りでない。」と禁婚の範囲が定められている。これには附則があり「2　第817条の9の規定により親族関係が終了した後も、前項と同様とする。」&lt;/li&gt;
&lt;li&gt;同735条「直系姻族の間では、婚姻をすることができない。第728条又は第817条の9の規定により姻族関係が終了した後も、同様とする。」と姻族でも直系は不可とする規定がある。&lt;/li&gt;
&lt;li&gt;同736条「養子若しくはその配偶者又は養子の直系卑属若しくはその配偶者と養親又はその直系尊属との間では、第729条の規定により親族関係が終了した後でも、婚姻をすることができない。」で、一度養子を取ったら縁組みを解消しても結婚できないよと定めている。&lt;/li&gt;
&lt;/ul&gt;
&lt;p&gt;小難しい言葉が出てくるが、簡単に言うと「直系の血縁（親子孫祖父母など）＋三親等以内の血縁（兄弟姉妹オジオバ甥姪）と、結婚した相手の親および連れ子とは離婚しても結婚できないよ。一度養子しちゃったらそれも同じ」ということだ。今の日本では当たり前すぎて誰も疑問を抱かないだろうが、これ、近代国家の禁婚規定としてはかなり甘い制度であると述べたら読者は驚かれるであろうか。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>日本の古代史を考える—補足5『後漢書』東夷伝倭人条全文</title><link>https://notraitors.com/posts/2013-06-23-gokanjotoiden/</link><pubDate>Sun, 23 Jun 2013 14:59:59 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2013-06-23-gokanjotoiden/</guid><description>&lt;p&gt;全文を引かずに揶揄してばかりだと不公平なので、以下に全文と訓読文をあげます。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;原文&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;span style="font-size:x-large; color:#000080;"&gt;&lt;strong&gt;倭在韓東南大海中依山㠀爲居凡百餘國自武帝滅朝鮮使驛通於漢者三十許國國皆稱王丗丗傳統其大倭王居邪馬臺國樂浪郡徼去其國萬二千里去其西北界拘邪韓國七千餘里其地大較在會稽東冶之東與朱崖儋耳相近故其法俗多同土宜禾稻麻紵蠶桑知織績爲縑布出白珠青玉其山有丹土氣温腝冬夏生菜茹無牛馬虎豹羊鵲其兵有矛楯木弓竹矢或以骨爲鏃男子皆黥面文身以其文左右大小別尊卑之差其男衣皆橫幅結束相連女人被髮屈紒衣如單被貫頭而著之並以丹坋身如中國之用粉也有城柵屋室父母兄弟異處唯會同男女無別飲食以手而用籩豆俗皆徒跣以蹲踞爲恭敬人性嗜酒多壽考至百餘歳者甚衆國多女子大人皆有四五妻其餘或兩或三女人不淫不妒又俗不盜竊少爭訟犯法者沒其妻子重者滅其門族其死停喪十餘日家人哭泣不進酒食而等類就歌舞爲樂灼骨以卜用決吉凶行來度海令一人不櫛沐不食肉不近婦人名曰持衰若在塗吉利則雇以財物如病疾遭害以爲持衰不謹便共殺之建武中元二年倭奴國奉貢朝賀使人自稱大夫倭國之極南界也光武賜以印綬安帝永初元年倭國王帥升等獻生口百六十人願請見桓靈閒倭國大亂更相攻伐歴年無主有一女子名曰卑彌呼年長不嫁事鬼神道能以妖惑衆於是共立爲王侍婢千人少有見者唯有男子一人給飲食傳辭語居處宮室樓觀城柵皆持兵守衞法俗嚴峻自女王國東度海千餘里至拘奴國雖皆倭種而不屬女王自女王國南四千餘里至朱儒國人長三四尺自朱儒東南行船一年至裸國黑齒國使驛所傳極於此矣&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;</description></item><item><title>日本の古代史を考える—補足4『漢書』地理志燕地条を正しく引用する</title><link>https://notraitors.com/posts/2013-06-21-kanjochirishi/</link><pubDate>Fri, 21 Jun 2013 14:07:58 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2013-06-21-kanjochirishi/</guid><description>&lt;p&gt;『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E6%9B%B8"&gt;漢書&lt;/a&gt;』地理志燕地条をちゃんと引用したことがないのに気がついたので、内容の正確な理解を助けるために、改めて必要個所を抜き出し、訳文を付ける。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>日本の古代史を考える—補足3「神武東征」</title><link>https://notraitors.com/posts/2013-06-18-jinmutosei/</link><pubDate>Tue, 18 Jun 2013 13:34:07 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2013-06-18-jinmutosei/</guid><description>&lt;p&gt;「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E6%9D%B1%E5%BE%81"&gt;神武東征&lt;/a&gt;」と言っても今時の若い人どころか、年寄りでも、あああれか、と分かる人は少ないのではないでしょうか。初代天皇、&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87"&gt;神武天皇&lt;/a&gt;が九州を出発して大和へ向かい、天下を治めたという、『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BA%8B%E8%A8%98"&gt;古事記&lt;/a&gt;』『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80"&gt;日本書紀&lt;/a&gt;』に収められている話です。ところで「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E6%9D%B1%E5%BE%81"&gt;神武東征&lt;/a&gt;」どころか第十代の&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%87%E7%A5%9E%E5%A4%A9%E7%9A%87"&gt;崇神天皇&lt;/a&gt;より前は、全部架空の人物に架空の出来事を当てはめた起源説明神話に過ぎないという説が未だ根強いのですが、そんな戯けたことを言う人は、&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%92%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3"&gt;シュリーマン&lt;/a&gt;が&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%82%B9"&gt;トロイヤ&lt;/a&gt;を発掘した故事をよくよく噛みしめるべきです。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>日本の古代史を考える—補足2「新唐書」</title><link>https://notraitors.com/posts/2013-06-16-shintojo/</link><pubDate>Sun, 16 Jun 2013 13:12:27 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2013-06-16-shintojo/</guid><description>&lt;p&gt;『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%94%90%E6%9B%B8"&gt;新唐書&lt;/a&gt;』は、明らかに『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80"&gt;日本書紀&lt;/a&gt;』を参照しているし、『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%94%90%E6%9B%B8"&gt;新唐書&lt;/a&gt;』が書かれた頃には「倭」は「日本」に併呑されて随分経っているから、もういいやと思っていたのですが、一応目だけは通しておくかと思って東夷伝日本条を眺めていたら、意外な表現に出会いました。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>日本の古代史を考える—補足「倭人」について</title><link>https://notraitors.com/posts/2013-06-16-wajin/</link><pubDate>Sun, 16 Jun 2013 13:03:55 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2013-06-16-wajin/</guid><description>&lt;p&gt;あちこちウェブで古代日本の資料を渉猟していると、『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%96%E8%A1%A1"&gt;論衡&lt;/a&gt;』に見られる「倭人」は江南人のことで、日本にいた倭人ではないとする主張をよく見かける。というか、皆そういう主張をしていることに驚いた。してみると『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%96%E8%A1%A1"&gt;論衡&lt;/a&gt;』を書いた&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E5%85%85"&gt;王充&lt;/a&gt;はそれを知らずに引用したのだろうか。&lt;a href="http:s//ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E5%85%85"&gt;王充&lt;/a&gt;が生きた後漢時代では「倭」といえば日本のことだったから、知っていれば一言追記したであろうから、知らなかったのだという意見に一応肯けないこともない。しかし、&lt;/p&gt;</description></item><item><title>事実に基づく歴史を伝えよう</title><link>https://notraitors.com/posts/2013-06-16-teach-right-history/</link><pubDate>Sun, 16 Jun 2013 08:06:17 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2013-06-16-teach-right-history/</guid><description>&lt;p&gt;婚姻制度の変遷から日本の古代史と、随分書いてきましたが、その目的は正しい歴史を知ることにありました。正しい＝&lt;span style="color:red;"&gt;事実&lt;/span&gt;に基づいた歴史です。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;とはいえ、婚姻制度が原初「&lt;a href="https://notraitors.com/posts/2013-05-21-marital-history-1/"&gt;族長婚&lt;/a&gt;」であったというのは、完全な想像です。ただ、過酷な生存環境にあってヒトの族が生き延びる道はリーダーに委ねられており、その見返りに性が与えられたというのは、全くの妄想であるとも思っていません。ヒトの性欲の強さと常時発情しているという特異性、性欲の強さに比例する以上に強烈な快感は、裏返せばそれほど激烈でなければ極限まで追い詰められたヒトの救いとならなかったことを示します。よく女性の性における快感は男性の比ではないと言いますが、そこまで強固に性への動機付けを女にも必要としたのは、何も出産負担が異常に重いというだけではなく、常時リーダーを挑発して性交させる＝緊張を発散させるという必要があったからでしょう。リーダーはそのメンバーの生存に懸ける期待に応えるため、不可能な課題に取り組まざるを得ませんでした。もちろん、全員で取り組んだでしょうが、決定はリーダーが下します。その中で祖霊との対話欲求が言葉を生み出し、同時に宗教を生み出したことを書きました。よくヒトは二足歩行をしたことにより空いた手を使うことを考え出し、そこから道具を発明し、道具の発展が言葉をもたらしたと説明されますが、それは学者の妄想にすぎません。道具を発明するためには、その効果と使用法がまず概念として先行して必要です。その概念は言葉によって支えられています。つまり、初めに言葉ありきなのです。ニホンザルやチンパンジーにおける実験や観察でも明らかなように、道具を使えるからといって言葉を生み出すことはできません。このまま気が狂って死んでしまうのではないかというくらい、何百万年も頭脳を酷使し続けたことが、言葉を見いだし、宗教を見いだし、遂には道具を見いだしたのです。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>日本の古代史を考える—⑳上宮法皇と聖徳太子</title><link>https://notraitors.com/posts/2013-06-15-joguhooh/</link><pubDate>Sat, 15 Jun 2013 16:52:59 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2013-06-15-joguhooh/</guid><description>&lt;p&gt;&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E9%9A%86%E5%AF%BA"&gt;法隆寺&lt;/a&gt;の金堂に安置されている&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E8%BF%A6%E4%B8%89%E5%B0%8A"&gt;釈迦三尊&lt;/a&gt;像の光背に次の文章が刻まれています。（右から縦書きしています）&lt;/p&gt;
&lt;div style="writing-mode: vertical-rl; font-size:x-large; font-weight: bold; height: 15em;line-height:1.2em; margin-left: auto; margin-right: auto;"&gt;
&lt;span style="color:#000080"&gt;法興元丗一年歳次辛巳十二月鬼
前太后崩明年正月廿二日上宮法
皇枕病弗悆干食王后仍以労疾並
著於床時王后王子等及與諸臣深
懐愁毒共相發願&lt;/span&gt;仰依三寳當造釋
像尺寸王身蒙此願力轉病延壽安
住世間若是定業以背世者往登浄
土早昇妙果&lt;span style="color:#000080;"&gt;二月廿一日癸酉王后
即世翌日法皇登遐癸未年三月中
如願敬造釋迦尊像并侠侍及荘嚴
具竟&lt;/span&gt;乗斯微福信道知識現在安隠
出生入死随奉三主紹隆三寳遂共
彼岸普遍六道法界含識得脱苦縁
同趣菩提使司馬鞍首止利佛師造
&lt;/div&gt;</description></item><item><title>日本の古代史を考える—⑲壬申の乱</title><link>https://notraitors.com/posts/2013-06-14-jinshinnnoran/</link><pubDate>Fri, 14 Jun 2013 14:34:48 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2013-06-14-jinshinnnoran/</guid><description>&lt;p&gt;さて、&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%99%BA%E5%A4%A9%E7%9A%87"&gt;天智天皇&lt;/a&gt;は即位してみると、&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87"&gt;大海人皇子&lt;/a&gt;の影響力が大きくなっていることに改めて危惧を抱いたかも知れません。「大皇弟」という尊称を奉った&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87"&gt;大海人皇子&lt;/a&gt;は、自分の後を継ぐ&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%98%E6%96%87%E5%A4%A9%E7%9A%87"&gt;大友皇子&lt;/a&gt;を大きく引き離しています。オオキミが捕虜になったとは言え、「倭國」はなくなってしまったわけではありません。&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%99%BA%E5%A4%A9%E7%9A%87"&gt;中大兄皇子&lt;/a&gt;としては倭國と修好し、あるいは倭國の力を引き出すのに、&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87"&gt;大海人皇子&lt;/a&gt;は得がたい協力者でした。また、国内統治という点でも、軍備という点でも&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87"&gt;大海人皇子&lt;/a&gt;と皇子に随従してきた官僚たちは、卓越した識見を示し、事態の収拾と政策の実現に奔走してくれました。感謝してもしきれないとはこのことです。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>日本の古代史を考える—⑱大化改新（後編）</title><link>https://notraitors.com/posts/2013-06-13-taikanokaishin-2/</link><pubDate>Thu, 13 Jun 2013 17:40:25 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2013-06-13-taikanokaishin-2/</guid><description>&lt;p&gt;&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E6%88%91%E6%B0%8F"&gt;蘇我氏&lt;/a&gt;という氏族は不思議な氏族です。はっきりしている系譜もその宗家は&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E6%88%91%E7%A8%B2%E7%9B%AE"&gt;稲目&lt;/a&gt;ー&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E6%88%91%E9%A6%AC%E5%AD%90"&gt;馬子&lt;/a&gt;ー&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E6%88%91%E8%9D%A6%E5%A4%B7"&gt;蝦夷&lt;/a&gt;ー&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E6%88%91%E5%85%A5%E9%B9%BF"&gt;入鹿&lt;/a&gt;と、四代しかありません。現在伝わっている系譜では&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%86%85%E5%AE%BF%E7%A6%B0"&gt;武内宿禰&lt;/a&gt;の末裔とされており、&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%9B%E5%9F%8E%E6%B0%8F"&gt;葛城氏&lt;/a&gt;を出自とする一族とも言われています。あるいは&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E6%B8%88"&gt;百済&lt;/a&gt;系の&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E6%9D%A5%E4%BA%BA"&gt;渡来人&lt;/a&gt;とする人もあり、どうやって力を付けたのか不思議な氏族です。もちろん傍系にはたくさんの人間がいたでしょうし、出自が古代の名族&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%9B%E5%9F%8E%E6%B0%8F"&gt;葛城氏&lt;/a&gt;とはいえ、実質たった四代で成り上がったほとんど新興と言ってよい豪族なのは間違いありません。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>日本の古代史を考える—⑰大化改新（前編）</title><link>https://notraitors.com/posts/2013-06-13-taikanokaishin-1/</link><pubDate>Thu, 13 Jun 2013 14:18:41 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2013-06-13-taikanokaishin-1/</guid><description>&lt;p&gt;古代の画期といえば、「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%8C%96%E3%81%AE%E6%94%B9%E6%96%B0"&gt;大化の改新&lt;/a&gt;」を挙げるのが従来の定説でした。しかし、最近は所謂「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%B9%E6%96%B0%E3%81%AE%E8%A9%94"&gt;改新の詔&lt;/a&gt;」が後代、&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8B%E4%BB%A4%E5%88%B6"&gt;律令制&lt;/a&gt;が施行されてから創作されたものであることが確実になり、また、&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%99%BA%E5%A4%A9%E7%9A%87"&gt;天智天皇&lt;/a&gt;の施策も「改新」めいた点が見られないことから、「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%8C%96%E3%81%AE%E6%94%B9%E6%96%B0"&gt;大化の改新&lt;/a&gt;」と言えるほどのことはなかったのではないかとも言われています。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ではその契機となった「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%99%E5%B7%B3%E3%81%AE%E5%A4%89"&gt;乙巳の変&lt;/a&gt;」もなかったかというとそんなことはありません。「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A5%E9%B9%BF%E7%A5%9E%E7%A4%BE"&gt;入鹿神社&lt;/a&gt;」という&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E6%88%91%E5%85%A5%E9%B9%BF"&gt;蘇我入鹿&lt;/a&gt;を祭った神社が伝世されています。菅原道真の例を見れば分かる通り、死後その人を祀るというのは、恨みを呑んで死んだその人の霊が祟りをなすと懼れられたからです。&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E6%88%91%E5%85%A5%E9%B9%BF"&gt;蘇我入鹿&lt;/a&gt;も死後祟りをなすような死に方をした、つまり、&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E6%88%91%E5%85%A5%E9%B9%BF"&gt;蘇我入鹿&lt;/a&gt;を殺し、蘇我宗家を滅ぼした事変は確かにあったのです。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>日本の古代史を考える—⑯九州王朝について補足</title><link>https://notraitors.com/posts/2013-06-12-ohcho/</link><pubDate>Wed, 12 Jun 2013 14:00:00 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2013-06-12-ohcho/</guid><description>&lt;p&gt;九州王朝について補足しておきます。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;strong&gt;1. 北九州は大陸、朝鮮半島に対する表玄関である。&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;これは地図を見れば明らかですね。縄文時代より大陸、朝鮮半島から渡来人／帰化人がやってきて住み着いたとすれば、&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%BC%E5%AF%A7%E7%9C%81"&gt;遼東&lt;/a&gt;→朝鮮半島→対馬→壱岐→博多湾岸のルート&lt;br /&gt;
&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E5%8D%97_%28%E4%B8%AD%E5%9B%BD%29"&gt;江南&lt;/a&gt;→（台湾）→琉球→南西諸島→薩摩、天草、北九州&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;のいずれかのルートで到来したことは明白です。常に先進文明を真っ先に受容する地に日本最初の王権が登場したとして何の不思議があるでしょう。奈良の田舎に誕生したとする現在の学説の方がよほど奇異です。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>日本の古代史を考える—⑮磐井の乱</title><link>https://notraitors.com/posts/2013-06-11-iwainoran/</link><pubDate>Tue, 11 Jun 2013 12:47:14 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2013-06-11-iwainoran/</guid><description>&lt;p&gt;重要な項目を検討し忘れていたので、ここで補おうと思います。古代日本で「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AC%E7%94%B3%E3%81%AE%E4%B9%B1"&gt;壬申の乱&lt;/a&gt;」と並ぶ大内乱「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A3%90%E4%BA%95%E3%81%AE%E4%B9%B1"&gt;磐井の乱&lt;/a&gt;」です。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BA%8B%E8%A8%98"&gt;古事記&lt;/a&gt;』&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%99%E4%BD%93%E5%A4%A9%E7%9A%87"&gt;継体天皇&lt;/a&gt;の条に、&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;span style="font-size:x-large; color:#000066;"&gt;&lt;strong&gt;此御世、竺紫君石井、不從天皇之命而、多无禮。故、遣物部荒甲之大連、大伴之金村連二人而、殺石井也。&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;span style="color:#880000"&gt;&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%91%E7%B4%AB%E5%9B%BD"&gt;筑紫&lt;/a&gt;の君&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A3%90%E4%BA%95"&gt;石井&lt;/a&gt;が皇命に從わないで、無禮な事が多くあった。そこで&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A9%E9%83%A8%E9%BA%81%E9%B9%BF%E7%81%AB"&gt;物部の荒甲&lt;/a&gt;の大連、&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E9%87%91%E6%9D%91"&gt;大伴の金村&lt;/a&gt;の連の兩名を遣わして、&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A3%90%E4%BA%95"&gt;石井&lt;/a&gt;を殺させた。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;と内乱があったことが記されています。万事簡略な『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BA%8B%E8%A8%98"&gt;古事記&lt;/a&gt;』ゆえ、言及されていること自体が驚きです。実際、&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%84%E7%95%A5%E5%A4%A9%E7%9A%87"&gt;雄略天皇&lt;/a&gt;の頃にあったとされる「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%82%99%E6%B0%8F%E3%81%AE%E4%B9%B1"&gt;吉備氏の乱&lt;/a&gt;」も、その後にあったという「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E5%B7%9D%E7%9A%87%E5%AD%90%E3%81%AE%E4%B9%B1"&gt;星川皇子の乱&lt;/a&gt;」にも一言も触れていません。それだけこの乱が重視される謂われがあると見なさなくてはなりません。一方、『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80"&gt;日本書紀&lt;/a&gt;』も「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A3%90%E4%BA%95%E3%81%AE%E4%B9%B1"&gt;磐井の乱&lt;/a&gt;」の模様を伝えています。巻十七「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%99%E4%BD%93%E5%A4%A9%E7%9A%87"&gt;男大迹天皇 繼體天皇&lt;/a&gt;」に、&lt;/p&gt;</description></item><item><title>日本の古代史を考える—⑭歴史学者への疑問提示</title><link>https://notraitors.com/posts/2013-06-10-questions/</link><pubDate>Mon, 10 Jun 2013 06:22:32 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2013-06-10-questions/</guid><description>&lt;p&gt;『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E6%9B%B8"&gt;漢書&lt;/a&gt;』地理志に始まり、『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E5%94%90%E6%9B%B8"&gt;舊唐書&lt;/a&gt;』東夷伝倭国条・日本國条まで見てきたが、先入観のない素朴な目で見ると、従来学校で教えられてきた歴史の内容に大きな疑問を抱かざるを得ない点が次々に見つかった。これを列挙し、機会があれば日本の古代史を専門とする歴史学者に問うてみたい。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>日本の古代史を考える—⑬漢書地理志再考</title><link>https://notraitors.com/posts/2013-06-10-kanjo/</link><pubDate>Mon, 10 Jun 2013 05:56:08 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2013-06-10-kanjo/</guid><description>&lt;p&gt;『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E6%9B%B8"&gt;漢書&lt;/a&gt;』地理志について、考証、説明が不足していたので改めて取り上げます。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;span style="font-size:x-large; color:#000066;"&gt;&lt;strong&gt;然東夷天性柔順異於三方之外故孔子悼道不行設浮於海欲居九夷有以也夫樂浪海中有倭人分爲百餘國以歳時來獻見云&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;span style="color:#880000"&gt;かくして、東夷の天性は柔順であり、そこが北狄、南蛮、西戎とは異なる点である。故に孔先生は道が行われないのを遺憾に思い、筏に乗って海に浮かび、九夷の地に行きたいと仰った。それには理由があったのである。楽浪郡の先の海中に倭人の地があり、全部で百あまりの国がある。定期的に貢ぎ物を持ってきて天子へお目見えしていたと伝わっている。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E6%BC%A2"&gt;前漢&lt;/a&gt;&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%B8%9D_%28%E6%BC%A2%29"&gt;武帝&lt;/a&gt;以来、&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%84%92%E6%95%99"&gt;儒教&lt;/a&gt;は漢の国是でした。&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%94%E5%AD%90"&gt;孔子&lt;/a&gt;は聖人であり、単なる憶測や伝聞でその人となりを揶揄するようなまねは厳に慎まなければならないことでした。畢竟、&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%94%E5%AD%90"&gt;孔子&lt;/a&gt;に筆が及ぶということは、相当の確信があってのことだということになります。そのような時代背景で記述された『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E6%9B%B8"&gt;漢書&lt;/a&gt;』においてもそれは同様です。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>日本の古代史を考える—⑫舊唐書東夷伝倭国条・日本國条</title><link>https://notraitors.com/posts/2013-06-10-tojo/</link><pubDate>Mon, 10 Jun 2013 04:44:44 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2013-06-10-tojo/</guid><description>&lt;p&gt;「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%8B"&gt;隋&lt;/a&gt;」の後は「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90"&gt;唐&lt;/a&gt;」ということで、「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90"&gt;唐&lt;/a&gt;」の歴史書での倭国、日本を見ていくわけですが、『唐書』と呼ばれる書物は二種類あります。ひとつは、&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E4%BB%A3%E5%8D%81%E5%9B%BD"&gt;五代十国時代&lt;/a&gt;に「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E6%99%8B"&gt;後晋&lt;/a&gt;」で編纂された『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E5%94%90%E6%9B%B8"&gt;唐書&lt;/a&gt;』です。西暦945年に完成しています。ただ、その翌年に「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E6%99%8B"&gt;後晋&lt;/a&gt;」が滅んでしまっていることで察することができるように、国自体が安定しておらず、編纂責任者も途中で交代していたりいます。そのため錯誤や遺漏が多く、記事も初唐の頃に偏っており晩唐の頃の物がほとんどないなど、後世の評判は良くありませんでした。そこで、&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8B_%28%E7%8E%8B%E6%9C%9D%29"&gt;北宋&lt;/a&gt;（こちらは、&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%B8%85%E7%9B%9B"&gt;平清盛&lt;/a&gt;が&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%AE%8B%E8%B2%BF%E6%98%93"&gt;日宋貿易&lt;/a&gt;を行った、あの&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8B_%28%E7%8E%8B%E6%9C%9D%29"&gt;宋&lt;/a&gt;です）の時代になってから、&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AC%A7%E9%99%BD%E8%84%A9"&gt;欧陽脩&lt;/a&gt;らによって新しい『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%94%90%E6%9B%B8"&gt;唐書&lt;/a&gt;』が編まれ、西暦1060年に&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8B_%28%E7%8E%8B%E6%9C%9D%29"&gt;宋&lt;/a&gt;の&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%81%E5%AE%97_%28%E5%AE%8B%29"&gt;仁宗&lt;/a&gt;に献上されました。そこで古い方の『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E5%94%90%E6%9B%B8"&gt;唐書&lt;/a&gt;』を『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E5%94%90%E6%9B%B8"&gt;舊唐書&lt;/a&gt;』、新しい『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%94%90%E6%9B%B8"&gt;唐書&lt;/a&gt;』を『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%94%90%E6%9B%B8"&gt;新唐書&lt;/a&gt;』あるいは単に『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%94%90%E6%9B%B8"&gt;唐書&lt;/a&gt;』と呼びます。新しいものができているなら、古い『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E5%94%90%E6%9B%B8"&gt;舊唐書&lt;/a&gt;』は無視して良いかというと、実は作りが雑だということは、生の資料がそのまま引き写しされているという利点があるということでもあり、決して資料価値が低いわけではありません。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>日本の古代史を考える—⑪隋書東夷傳俀国条</title><link>https://notraitors.com/posts/2013-06-09-zuisho/</link><pubDate>Sun, 09 Jun 2013 20:07:53 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2013-06-09-zuisho/</guid><description>&lt;p&gt;やっとたどり着いた感があります。『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%8B%E6%9B%B8"&gt;隋書&lt;/a&gt;』東夷傳俀国条です。『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%8B%E6%9B%B8"&gt;隋書&lt;/a&gt;』は、「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90"&gt;唐&lt;/a&gt;」の&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%AE%97_%28%E5%94%90%29"&gt;太宗&lt;/a&gt;の勅により&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F%E5%BE%B4"&gt;魏徴&lt;/a&gt;、&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%AD%AB%E7%84%A1%E5%BF%8C"&gt;長孫無忌&lt;/a&gt;らが撰進しました。書かれているのは「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%8B"&gt;隋&lt;/a&gt;」の時代です。西暦581年から西暦618年に当たります。かの有名な「日出ずる処の天子」という表現はおなじみではないでしょうか。『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%8B%E6%9B%B8"&gt;隋書&lt;/a&gt;』からは、七世紀初頭の日本がどのような様子であったのかが覗えます。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>日本の古代史を考える—⑩三国史記（新羅本紀）</title><link>https://notraitors.com/posts/2013-06-07-shiragi/</link><pubDate>Fri, 07 Jun 2013 19:02:31 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2013-06-07-shiragi/</guid><description>&lt;p&gt;次に『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%8F%B2%E8%A8%98"&gt;三国史記&lt;/a&gt;』の「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85"&gt;新羅&lt;/a&gt;本紀」を見てみます。え? &lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%8F%A5%E9%BA%97"&gt;高句麗&lt;/a&gt;は? というと、「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%8F%A5%E9%BA%97"&gt;高句麗&lt;/a&gt;本紀」には「倭」のことが一言も出てきません。「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%BD%E5%A4%AA%E7%8E%8B%E7%A2%91"&gt;好太王碑&lt;/a&gt;」が現にあり、倭と戦ったことを記しているのですから、現れないということ自体が不自然かつ胡散臭さ満点です。という目で「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85"&gt;新羅&lt;/a&gt;本紀」を見てみると、&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%91%E5%BC%A5%E5%91%BC"&gt;卑弥呼&lt;/a&gt;が二世紀に&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85"&gt;新羅&lt;/a&gt;に遣使したとか書いてあって、中国の史書と比較検証できない三世紀以前の記事は、まず信用できないと言ってよいでしょう（&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%91%E5%BC%A5%E5%91%BC"&gt;卑弥呼&lt;/a&gt;が生きたのは三世紀。物理的にありえません）。ということで、三世紀以降の記録から倭に関する部分を抜き出してみます。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>日本の古代史を考える—⑨三国史記（百済本紀）</title><link>https://notraitors.com/posts/2013-06-07-kudara/</link><pubDate>Fri, 07 Jun 2013 18:40:42 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2013-06-07-kudara/</guid><description>&lt;p&gt;ここで朝鮮に目を転じます。三世紀〜七世紀にかけて、朝鮮半島では「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%8F%A5%E9%BA%97"&gt;高句麗&lt;/a&gt;」「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E6%B8%88"&gt;百済&lt;/a&gt;」「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85"&gt;新羅&lt;/a&gt;」が鼎立し、覇を争っていました。最終的に「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%9D%91%E6%B1%9F%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84"&gt;白村江の戦い&lt;/a&gt;」で倭・&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E6%B8%88"&gt;百済&lt;/a&gt;（この時既に&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E6%B8%88"&gt;百済&lt;/a&gt;は滅亡していたので正確には&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E6%B8%88"&gt;百済&lt;/a&gt;遺民）連合軍に、&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90"&gt;唐&lt;/a&gt;・&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85"&gt;新羅&lt;/a&gt;連合軍が大打撃を与え、倭はこの敗北から立ち直れないまま、&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85"&gt;新羅&lt;/a&gt;が朝鮮を統一します。この三国の歴史を著したのが『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%8F%B2%E8%A8%98"&gt;三国史記&lt;/a&gt;』です。&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%BA%97"&gt;高麗&lt;/a&gt;十七代&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%81%E5%AE%97_%28%E9%AB%98%E9%BA%97%E7%8E%8B%29"&gt;仁宗&lt;/a&gt;の命を受けて&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%AF%8C%E8%BB%BE"&gt;金富軾&lt;/a&gt;らが編纂しました。この書は&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%BA%97"&gt;高麗&lt;/a&gt;が&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85"&gt;新羅&lt;/a&gt;の後継を自任していた上に、編纂者が&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85"&gt;新羅&lt;/a&gt;王室の血を引いていたため、&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85"&gt;新羅&lt;/a&gt;偏重かつ&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85"&gt;新羅&lt;/a&gt;寄りの既述が目立ちます。そのため、その内容を充分に批判することなしに引用することは不用意の誹りを免れ得ません。とはいえ、倭と&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85"&gt;新羅&lt;/a&gt;の激闘の歴史は見て取れますので、倭に関する部分を抜粋して、その様子をうかがうことにしましょう。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;なお、「&lt;a href="https://www006.upp.so-net.ne.jp/hinomotoshiki2/"&gt;ひのもとの史記&lt;/a&gt;」さんの「&lt;a href="https://www006.upp.so-net.ne.jp/hinomotoshiki2/3/korea3.html"&gt;三国史記の倭関連記事&lt;/a&gt;」が一覧表になっていてとても見やすいので、概略を掴むのにはもってこいです。是非ご覧になって下さい。トップページから「&lt;a href="https://www006.upp.so-net.ne.jp/hinomotoshiki2/3/index3.html"&gt;ひのもとの史記・参&lt;/a&gt;」をクリックして、左サイドバー内「CONTENTS」の「&lt;a href="https://www006.upp.so-net.ne.jp/hinomotoshiki2/3/korea3.html"&gt;三．三国史記&lt;/a&gt;」をクリックすれば見ることができます。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>日本の古代史を考える—⑦広開土王碑</title><link>https://notraitors.com/posts/2013-06-05-kokaidoohi/</link><pubDate>Wed, 05 Jun 2013 03:40:58 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2013-06-05-kokaidoohi/</guid><description>&lt;p&gt;時代は前後しますが、「&lt;a href="https://notraitors.com/posts/2013-06-05-sosho/"&gt;⑥宋書夷蠻伝倭國条&lt;/a&gt;」でも触れた「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%BD%E5%A4%AA%E7%8E%8B%E7%A2%91"&gt;好太王碑&lt;/a&gt;」、正式には「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%BD%E5%A4%AA%E7%8E%8B%E7%A2%91"&gt;広開土王碑&lt;/a&gt;」に「倭」と「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%8F%A5%E9%BA%97"&gt;高句麗&lt;/a&gt;」の戦争の様子が書かれているので、関連部分を抜き出して、見てみたいと思います。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;span style="font-size:x-large; color:#000066;"&gt;&lt;strong&gt;百残新羅舊是屬民由來朝貢而倭以辛卯年來渡海破百残■■■羅以爲臣民&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;span style="color:#880000"&gt;&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E6%B8%88"&gt;百済&lt;/a&gt;・&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85"&gt;新羅&lt;/a&gt;はもともと&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%8F%A5%E9%BA%97"&gt;高句麗&lt;/a&gt;の属国であり、昔から朝貢してきていた。ところが、倭は辛卯の年に海を渡って来襲し、&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E6%B8%88"&gt;百済&lt;/a&gt;、■■■羅（新羅？）を破り、自分たちの属国にしてしまった。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;</description></item><item><title>日本の古代史を考える—⑥宋書夷蠻伝倭國条</title><link>https://notraitors.com/posts/2013-06-05-sosho/</link><pubDate>Wed, 05 Jun 2013 02:45:24 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2013-06-05-sosho/</guid><description>&lt;p&gt;『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%8B%E6%9B%B8"&gt;晋書&lt;/a&gt;』は、三国鼎立時代を終わらせた「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%8B%E7%8E%8B%E6%9C%9D"&gt;晋&lt;/a&gt;」の正史で、西暦265年から420年までの出来事が収められている。ただし、倭人条は、泰始元年（西暦265年）の記事で終わっており、次に倭の名前が見えるのは安帝の義煕九年（西暦413年）であるため、四世紀の日本については何も情報がない。本稿で取り上げる『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8B%E6%9B%B8"&gt;宋書&lt;/a&gt;』は、&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%8C%97%E6%9C%9D%E6%99%82%E4%BB%A3_%28%E4%B8%AD%E5%9B%BD%29"&gt;南北朝時代&lt;/a&gt;の「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8B_%28%E5%8D%97%E6%9C%9D%29"&gt;宋&lt;/a&gt;」（&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%B8%85%E7%9B%9B"&gt;平清盛&lt;/a&gt;が&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%AE%8B%E8%B2%BF%E6%98%93"&gt;日宋貿易&lt;/a&gt;を行った「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%AE%8B%E8%B2%BF%E6%98%93"&gt;宋&lt;/a&gt;」とは時代が異なる国）の正史で、&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%89_%28%E5%8D%97%E6%9C%9D%29"&gt;南斉&lt;/a&gt;の&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%B8%9D_%28%E5%8D%97%E6%9C%9D%E6%96%89%29"&gt;武帝&lt;/a&gt;の命令で、&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%88%E7%B4%84"&gt;沈約&lt;/a&gt;によって編まれた。西暦420年から479年までの出来事が記されている。かの有名な「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E3%81%AE%E4%BA%94%E7%8E%8B"&gt;倭の五王&lt;/a&gt;」が登場するのであるが、当然記録が五世紀に入ってからなので、四世紀がまるまる空白として残る結果となった。いわゆる「空白の四世紀」である。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>日本の古代史を考える—⑤晋書四夷伝倭人条</title><link>https://notraitors.com/posts/2013-06-04-shinjo/</link><pubDate>Tue, 04 Jun 2013 02:12:59 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2013-06-04-shinjo/</guid><description>&lt;p&gt;『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%8B%E6%9B%B8"&gt;晋書&lt;/a&gt;』は『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%BF%97"&gt;三国志&lt;/a&gt;』に続く正史であるが、書かれたのは「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90"&gt;唐&lt;/a&gt;」になってからである。「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%8B_%28%E7%8E%8B%E6%9C%9D%29"&gt;晋&lt;/a&gt;」は&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B8%E9%A6%AC%E6%87%BF"&gt;司馬懿&lt;/a&gt;の一族が&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B9%E6%93%8D"&gt;曹操&lt;/a&gt;の「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F_%28%E4%B8%89%E5%9B%BD%29"&gt;魏&lt;/a&gt;」を簒奪して誕生した王朝で、西暦245年から420年まで続いた。三国に分裂していた中国を統一したのが「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%8B_%28%E7%8E%8B%E6%9C%9D%29"&gt;晋&lt;/a&gt;」である。しかしその統一は束の間で、西暦317年に&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%88%E5%A5%B4"&gt;匈奴&lt;/a&gt;（&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E8%B6%99"&gt;前趙&lt;/a&gt;）の侵略を受け、南遷を余儀なくされた。それまでの晋を「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%99%8B"&gt;西晋&lt;/a&gt;」、南遷後の晋を「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%99%8B"&gt;東晋&lt;/a&gt;」と呼んで区別するのが習わしである。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;この書にも倭のことが書かれているが、明らかに『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E6%BC%A2%E6%9B%B8"&gt;後漢書&lt;/a&gt;』の引き写しである。従って全文を紹介する意味はあまりないのであるが、いくつか指摘すべき点があるので、念のために触れておく。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>日本の古代史を考える—④魏志倭人伝諸問題</title><link>https://notraitors.com/posts/2013-06-04-gisho/</link><pubDate>Tue, 04 Jun 2013 00:47:33 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2013-06-04-gisho/</guid><description>&lt;p&gt;『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F%E5%BF%97%E5%80%AD%E4%BA%BA%E4%BC%9D"&gt;魏志倭人伝&lt;/a&gt;』に登場する「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD"&gt;倭&lt;/a&gt;」國が日本のことであるのは周知であるが、古来その仮定を前提にすると、種々の問題が生じることが明らかになっている。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;span style="font-size:x-large;color:#660000"&gt;&lt;strong&gt;Ⅰ. 「狗邪韓國」はどこか?&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%AF%E6%96%B9%E9%83%A1"&gt;帯方郡&lt;/a&gt;から狗邪韓國まで海を渡っていないことは、その直後に「始度一海」とあるので明らかである。故に狗邪韓國は朝鮮半島にあると推定するのが本来であるが、距離が七千余里あるのが問題だ。知られている限りでは「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F"&gt;魏&lt;/a&gt;」の頃の里は、433.8 m なので、七千里というと、3,000 ㎞ を越える大距離になる。直線距離ならカムチャッカ半島の先っちょか、ベトナムかというくらいの距離だ。近畿か九州か以前に、日本を素通りしてしまう。日本の大名行列を参考に、一日当たり 35 ㎞ 進んだとしても、87 日かかる。かかりすぎだ。つまり、従来説は初っぱなから破綻しているのである。無論、私にもわからない。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>日本の古代史を考える—③魏志倭人伝</title><link>https://notraitors.com/posts/2013-06-02-gisho/</link><pubDate>Sun, 02 Jun 2013 17:55:23 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2013-06-02-gisho/</guid><description>&lt;p&gt;&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%91%E5%BC%A5%E5%91%BC"&gt;卑弥呼&lt;/a&gt;で有名な&lt;a href="https://notraitors.com/2013/06/02/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e5%8f%a4%e4%bb%a3%e5%8f%b23/%3Ca%20href="&gt;邪馬台国&lt;/a&gt;が記載されていることで有名な&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F%E5%BF%97%E5%80%AD%E4%BA%BA%E4%BC%9D"&gt;魏志倭人伝&lt;/a&gt;。魏志とは、&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%99%8B"&gt;西晋&lt;/a&gt;の&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B3%E5%AF%BF"&gt;陳寿&lt;/a&gt;が編纂した『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%BF%97_%28%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E6%9B%B8%29"&gt;三国志&lt;/a&gt;』のうち、&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F_%28%E4%B8%89%E5%9B%BD%29"&gt;魏&lt;/a&gt;の正史である『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F%E6%9B%B8"&gt;魏書&lt;/a&gt;』のことを云う。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F_%28%E4%B8%89%E5%9B%BD%29"&gt;魏&lt;/a&gt;は、西暦 220 年から 265 年に中国に存在した国である。この国とその祖&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B9%E6%93%8D"&gt;曹操&lt;/a&gt;については、&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%BF%97%E6%BC%94%E7%BE%A9"&gt;三国志演義&lt;/a&gt;で日本人にもおなじみであろう。なお、日本では&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3"&gt;弥生時代&lt;/a&gt;後期にあたる。&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3"&gt;弥生時代&lt;/a&gt;を代表する遺跡といえば、昔々は&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BB%E5%91%82%E9%81%BA%E8%B7%A1"&gt;登呂遺跡&lt;/a&gt;だったりしたのであるが、現在では何と言っても&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E9%87%8E%E3%83%B6%E9%87%8C%E9%81%BA%E8%B7%A1"&gt;吉野ヶ里遺跡&lt;/a&gt;であろう。筆者も現地へ行ったことがあるが、見ると読むでは大違い。&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E9%87%8E%E3%83%B6%E9%87%8C%E9%81%BA%E8%B7%A1"&gt;吉野ヶ里遺跡&lt;/a&gt;は、非常に大規模な遺構であり、現地に立つと圧倒されるものがある。さてもこのような基地を設けねばならなかった時代背景とは非常に物騒なものであったと実感した次第である。このような基地を必要とした時代とはどんな時代だったのであろうか。それを読み解く鍵のひとつが&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F%E5%BF%97%E5%80%AD%E4%BA%BA%E4%BC%9D"&gt;魏志倭人伝&lt;/a&gt;である。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>日本の古代史を考える—②後漢書東夷伝</title><link>https://notraitors.com/posts/2013-06-01-gokanjo/</link><pubDate>Sat, 01 Jun 2013 17:37:54 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2013-06-01-gokanjo/</guid><description>&lt;p&gt;『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E6%BC%A2%E6%9B%B8"&gt;後漢書&lt;/a&gt;』が『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%BF%97_%28%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E6%9B%B8%29"&gt;三国志&lt;/a&gt;』より後の時代に書かれたことはよく知られていることである。従って『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD"&gt;倭&lt;/a&gt;』の情報も『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%BF%97_%28%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E6%9B%B8%29"&gt;三国志&lt;/a&gt;』の方が的確、豊富であるとするのが常識になっている。事実、『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E6%BC%A2%E6%9B%B8"&gt;後漢書&lt;/a&gt;』東夷列伝の倭人条は、ほとんどが『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F%E5%BF%97%E5%80%AD%E4%BA%BA%E4%BC%9D"&gt;魏志倭人伝&lt;/a&gt;』の引き写し（しかも誤って写し取ったと見られる個所まである）の上に、字数も遙かに少ない（尤もこれは、『魏志倭人伝』の分量が名だたる正史の中でも際だって多いのためであるが）。しかし、にも関わらず、日本史にとって重要な一文があるため、無視はできないのである。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>日本の古代史を考える—①漢書地理志</title><link>https://notraitors.com/posts/2013-05-30-kanjo/</link><pubDate>Thu, 30 May 2013 17:09:24 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2013-05-30-kanjo/</guid><description>&lt;p&gt;日本は『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BA%8B%E8%A8%98"&gt;古事記&lt;/a&gt;』『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80"&gt;日本書紀&lt;/a&gt;』以前に歴史書があったことは明らかにされているが、その内容については、『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BA%8B%E8%A8%98"&gt;古事記&lt;/a&gt;』『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80"&gt;日本書紀&lt;/a&gt;』に盛り込まれたもの（どれがそうであるかは不明である）のほかに現代に伝わっているものはごくわずかでしかない。そこで古来より中国の歴史書を引くことが当然とされてきた。しかしその内容については充分に吟味され、教育されているとは言い難い。日本が始めて登場する中国の歴史書は『&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E6%9B%B8"&gt;漢書&lt;/a&gt;』であるが、高校の授業でも、百あまりの国に別れていたという程度のことしか教えられない。しかしこの条の本質はそんなところにはない。その前こそが重要なのである。以下に地理志燕地倭人条を示す。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>邪馬壹国・九州王朝・関東王朝</title><link>https://notraitors.com/posts/2013-05-27-yamayekoku/</link><pubDate>Mon, 27 May 2013 16:49:50 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2013-05-27-yamayekoku/</guid><description>&lt;p&gt;「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%AA%E9%A6%AC%E5%8F%B0%E5%9B%BD"&gt;邪馬台国&lt;/a&gt;」論争は昔から有名で、九州にあったか近畿にあったか、はたまた海外だったか様々な仮説が出ては消え出ては消えして今に至っている。「婚姻の歴史を考える」を書いた際、&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F%E5%BF%97%E5%80%AD%E4%BA%BA%E4%BC%9D"&gt;魏志倭人伝&lt;/a&gt;についても簡単に調べたのだが、&lt;a href="https://www.furutasigaku.jp/jfuruta/jfuruta.html"&gt;古田武彦&lt;/a&gt;氏の論によって、積年の疑問が解決したのでここにまとめておきたい。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>婚姻制度の歴史を考える—⑥母系制</title><link>https://notraitors.com/posts/2013-05-22-marital-history-6/</link><pubDate>Wed, 22 May 2013 14:51:17 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2013-05-22-marital-history-6/</guid><description>&lt;p&gt;ヒトがいつから存在するかは未だ確定していないが、そもそもヒトの社会は母系制であったと考えられる。ヒトの妊娠、出産、育児は、他の動物と比較して異常なくらいコストがかかることは改めて述べるまでもない。であれば、それを担うメスを中心としてこれを保護する形で集団が営まれるのは自然なことであり、むしろ生殖負担が全く異なるチンパンジーやゴリラなどを例として父系制を唱えるのは滑稽なことだと言える。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>婚姻制度の歴史を考える—⑤妻問婚補記</title><link>https://notraitors.com/posts/2013-05-22-marital-history-5/</link><pubDate>Wed, 22 May 2013 14:45:31 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2013-05-22-marital-history-5/</guid><description>&lt;p&gt;&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3"&gt;弥生時代&lt;/a&gt;の定義は学会でも揺れているようだが、米の栽培／収穫が主要な食糧獲得手段になり、土地の奪い合いによる集団間の紛争が発生していた時期をそう呼ぶことに差し支えはなさそうである。つまり遅くとも、農耕が定着して武力闘争が開始された時期には弥生時代が始まっていたものと見なす。そして、紛争の片が概ねついて各地に「&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%82%B3"&gt;彦&lt;/a&gt;」を称する大首長が現れ、&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%A2%B3"&gt;古墳&lt;/a&gt;を築造し始める&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E6%99%82%E4%BB%A3"&gt;古墳時代&lt;/a&gt;の前までを&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3"&gt;弥生時代&lt;/a&gt;とする。以下本稿でいう&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3"&gt;弥生時代&lt;/a&gt;はその意味である。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>婚姻制度の歴史を考える—④妻問婚</title><link>https://notraitors.com/posts/2013-05-22-marital-history-4/</link><pubDate>Wed, 22 May 2013 14:38:48 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2013-05-22-marital-history-4/</guid><description>&lt;p&gt;日本の古代—主に古墳時代から奈良時代にかけて—に婚姻様式として妻問婚が広く行われていたのは、周知の事実である。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;では、妻問婚はいつ頃始まり、いつ群婚に取って代わったのであろうか。
筆者は、少なくとも縄文中期には妻問婚が始まっていたと考える。理由は以下の通りである。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;①既に大規模集落が営まれており、集団が大規模化していたこと。&lt;br /&gt;
②勾玉の交易から明らかなように他集団との交流が活発であったこと。&lt;br /&gt;
③（同一血族を示すと思われる）抜歯の風習が始まったこと&lt;/p&gt;</description></item><item><title>婚姻制度の歴史を考える—②私有婚と私有制度・身分制度</title><link>https://notraitors.com/posts/2013-05-21-marital-history-2/</link><pubDate>Tue, 21 May 2013 04:31:39 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2013-05-21-marital-history-2/</guid><description>&lt;p&gt;ヒトの始原が族長婚（集中婚）であることは前に述べた。では、現在に続く一夫一婦制度とそれに基づく私有制度はどのようにして生まれたのだろうか。言うまでもないが、私有制度は、私有という観念が確立していないと生まれ得ない制度である。その私有観念を生み出したものを、それが基づく制度である一夫一婦制に求めるのは当然の論理であろう。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;元々厳しい生存環境に置かれていたヒトは、気候変動の影響で乾燥化が広域で進んだりするとたちまち食糧難に陥る。事実、人類がそのほとんどの期間生き延びざるを得なかった更新世の氷河期は、600万年前に始まり、1万年前に終わっている。その間、氷期と間氷期が繰り返され、気候が変動し続けたのである。食糧難に陥った集団が選択できる行動は二つだけである。即ち、自滅するか他所から掠奪するかである。おそらく人口が少なく集団がまばらに存在していた人類の黎明期では掠奪しようにも近くに手頃な集団が存在する可能性は極めて低く、滅亡していった集団が数知れず存在したであろう。しかし、時代を経てヒトが世界中に広がり、居住可能域における人口密度が増大＝集団数が増加するにつれ、掠奪という選択肢が現実のものとなっていく。こうして互いに掠奪しあう集団群ができ上がっていったと考えられる。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>婚姻制度の歴史を考える – ①婚姻の始まり</title><link>https://notraitors.com/posts/2013-05-21-marital-history-1/</link><pubDate>Tue, 21 May 2013 04:24:33 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2013-05-21-marital-history-1/</guid><description>&lt;p&gt;人類の始原における婚姻制が何であったかは歴史の遙か彼方のことでもあり、今でも判然としない。しかし血縁による集団を構築していたことはどうやら間違いのないことらしいので、これを出発点として、原始の婚姻制を考えてみたい。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;当たり前のことだが、始原において、婚姻とは性交であった。これが何らの制約がない状態に集団が置かれると、乱婚に陥ることは現代日本を見ても明らかである。結婚するまでは処女でなくてはならず、結婚したら女の浮気は絶対にダメであり、すれば罪に問われる。のが、一夫一婦制度というものである。婚前交渉が花盛りで、不倫乱交が大手を振ってまかり通っている日本の現状を指すものではないことは明々白々としか言いようがない。それはともかく、人類の始原ではどうだったのか。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>日本が今後採るべき電力供給戦略について</title><link>https://notraitors.com/posts/2011-03-11-electricity-policy/</link><pubDate>Fri, 11 Mar 2011 00:45:39 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2011-03-11-electricity-policy/</guid><description>&lt;p&gt;まず、今回の東日本太平洋沖地震とそれに伴う津波によってお亡くなりになった方のご冥福を祈るとともに、被災された方が一日でも早く元の落ち着いた生活を取り戻せるよう願いたいと思います。また、福島第一原子力発電所の事故が一刻も早く解決し、住民の方々が安心して暮らせる環境を取り戻せることを切に願います。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80%E4%BA%8B%E6%95%85"&gt;今回の事故&lt;/a&gt;を受け、また原発反対派と推進派の議論がかしがましいようです。事故が起きたこともさることながら、さすがに今回の&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%9B%BB%E5%8A%9B"&gt;東京電力&lt;/a&gt;、 &lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E5%AE%89%E5%85%A8%E3%83%BB%E4%BF%9D%E5%AE%89%E9%99%A2"&gt;原子力安全・保安院&lt;/a&gt;が見せた情報の齟齬、隠蔽、判断ミス、現場丸投げといった失態を受けて、なお&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80"&gt;原子力発電所&lt;/a&gt;の建設を受け入れようという地方は今後出てこないでしょう。本来なら政府の失態も大々的に指弾すべきですが、この稿の目的ではありませんので、今回は割愛します。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>専業主婦を否定しても子育ての問題は解決しない</title><link>https://notraitors.com/posts/2010-12-30-child-rearing-problem/</link><pubDate>Thu, 30 Dec 2010 00:30:02 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2010-12-30-child-rearing-problem/</guid><description>&lt;p&gt;産経新聞が『仙谷氏「&lt;a href="https://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101227/plc1012271319010-n1.htm"&gt;専業主婦は病気」と問題発言か　本人は「記憶にない」と釈明&lt;/a&gt;』という見出しの記事を掲載し、それを池田信夫さんが『&lt;a href="https://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51623662.html"&gt;保守の劣化&lt;/a&gt;』というブログ記事で批判しておられます。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;漢字の読み間違いを国会で質問するような馬鹿なまねよりはまっとうな指摘だと思いますが、それはさておき。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>「人口減少に対応した経済社会のあり方」に見る経団連の独善性</title><link>https://notraitors.com/posts/2010-12-27-jfoeo/</link><pubDate>Mon, 27 Dec 2010 19:23:17 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2010-12-27-jfoeo/</guid><description>&lt;p&gt;巷間、経団連が移民受け入れ1000万人を主張していることは賛否両論流布しているが、今一度原点に立ち返ってその主張が盛り込まれている「&lt;a href="https://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2008/073.pdf"&gt;人口減少に対応した経済社会のあり方&lt;/a&gt;」に議論を加えてみようと思う。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;冒頭「２．わが国人口の展望」で、2055年までに総人口が8000万人台になり、そのうち高齢者が半分近くを占める事態になるという。一方で、わが国は専門技術者などの高度人材の受け入れが18万人にとどまっていると述べる。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>企業の内部留保はどこから来たのか</title><link>https://notraitors.com/posts/2010-12-26-internalreserve/</link><pubDate>Sun, 26 Dec 2010 19:13:56 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2010-12-26-internalreserve/</guid><description>&lt;p&gt;いささか旧聞に属するが、&lt;a href="https://rionaoki.net/"&gt;経済101&lt;/a&gt; の「&lt;a href="https://rionaoki.net/2010/10/4732"&gt;内部留保再び&lt;/a&gt;」について素朴な疑問があるので。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;財務省の統計によると、国内企業の&lt;a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E9%83%A8%E7%95%99%E4%BF%9D"&gt;内部留保&lt;/a&gt;が400兆円を越えたそうだ。資本金10億円以上の大企業に限っても200兆円あるという。例によってそれを取り崩して雇用に回せ云々という議員がいたようだが、それは置いておく。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>金のためなら国を売る企業人</title><link>https://notraitors.com/posts/2010-12-25-unscrupulousbusinessmen/</link><pubDate>Sat, 25 Dec 2010 19:02:38 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2010-12-25-unscrupulousbusinessmen/</guid><description>&lt;p&gt;&lt;a href="https://agora-web.jp/"&gt;アゴラ&lt;/a&gt;に「&lt;a href="https://agora-web.jp/archives/1154903.html"&gt;なぜ領土紛争は国民を熱くするか&lt;/a&gt;」「&lt;a href="https://agora-web.jp/archives/1135712.html"&gt;もともと我々の領土という愚&lt;/a&gt;」という記事が掲載されています。執筆者は石水智尚さんと仰る中国でビジネスを展開している企業の経営者です。それぞれの記事について詳しい内容は実際に読んで頂くとして、ここではこの記事の問題点を取り上げたいと思います。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;氏は「&lt;a href="https://agora-web.jp/archives/1135712.html"&gt;もともと我々の領土という愚&lt;/a&gt;」で「北方領土も尖閣諸島も経済的メリットを優先して国民を説得しろ」と主張しています。端的に言うと「争っても金にならないのだからくれてやれ」ということです。ただし最後に尖閣諸島を最初に発見したのは中国だと付け足すことを忘れていません。暗に「もともとは中国の領土」だと言ってるわけです。だからタイトルも「&lt;a href="https://agora-web.jp/archives/1135712.html"&gt;もともと我々の領土という愚&lt;/a&gt;」なわけですね。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>尖閣諸島問題とは何なのか</title><link>https://notraitors.com/posts/2010-12-19-senkaku-islands/</link><pubDate>Sun, 19 Dec 2010 18:55:24 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2010-12-19-senkaku-islands/</guid><description>&lt;p&gt;尖閣諸島は1885年から1895年まで日本政府が領有状況を調査した後、いずれの国にも属していないことを確かめた上で領有を閣議決定しています。実際に日本人が居住していた時期もあり、1940年から無人島となりましたが、日本が実効支配を行ってきました。終戦直後の1945年に台湾は中華民国台湾省となっていますが、尖閣諸島は台湾に含まれていませんでした。つまり、元々日本以外の国は領有権を主張していなかったのです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;しかし、1968年、東シナ海の大陸棚の海洋調査で豊富な石油が埋蔵されている可能性が指摘されるやいなや状況は一変しました。1971年6月に台湾、同年12月に中国が相次いで領有権を主張し始め、以降、陰に陽にその主張を繰り返し、時には実力行使までしています。国際裁判所での判例上では、こういう後出しの主張は、「禁反言」に触れる可能性が高いという指摘があるにも関わらずです。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>反論『「就職する」ということがどういうことか知ってほしい 』</title><link>https://notraitors.com/posts/2010-12-14-jobmanagement/</link><pubDate>Tue, 14 Dec 2010 16:31:54 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2010-12-14-jobmanagement/</guid><description>&lt;p&gt;&lt;a href="https://agora-web.jp/"&gt;アゴラ&lt;/a&gt;に掲載された『&lt;a href="https://agora-web.jp/archives/1145940.html"&gt;「就職する」ということがどういうことか知ってほしい&lt;/a&gt; 』という記事に対する簡単な反論。&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;
&lt;p&gt;BLOGSに掲載された橘玲氏の「&lt;a href="https://news.livedoor.com/article/detail/5198672/"&gt;牛丼と革命―未来世界のマックジョブ&lt;/a&gt;」を読んで、企業が正直に自分たちが欲しい人材を追求したときにこのような形に行き着くのだろうなと思った。&lt;/p&gt;
&lt;/blockquote&gt;
&lt;p&gt;社畜云々の議論はここでは置いておく。リンク先を読めばおわかり頂けるだろうが、すき屋のゼンショーグループが徹底したマニュアル化と社員管理で生産性を上げているという話だ。その中でもここに注目して欲しい。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>反論【佐藤優の眼光紙背】尖閣ビデオ流出は官僚によるクーデターだ</title><link>https://notraitors.com/posts/2010-12-02-senkaku-video/</link><pubDate>Thu, 02 Dec 2010 21:23:31 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2010-12-02-senkaku-video/</guid><description>&lt;p&gt;少し前ツイッターでもつぶやいたのだが、論点を整理してまとめてみた。
これは、佐藤優氏の【佐藤優の眼光紙背】尖閣ビデオ流出は官僚によるクーデターだ に対する反論である。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;規律の遵守など遵法意識を強調するなら、末端以上に上層部にこそそれが求められます。&lt;span style="color:red;"&gt;内閣が責任を放棄したから&lt;/span&gt;、この事件が起きたのであって、このような異常事態に陥ることのなかった戦後から現在までそんな事例はスパイ事件を除いて大きく問題になったことはなかったではありませんか。国民からすれば、内閣の打った手は裏切りであり、責任を那覇地検に押し付けたのは責任回避、職務怠慢以外の何者でもありません。公務員法第82条第2項では「職務上位の義務に違反し、または怠った者」「国民全体の奉仕者たるにふさわしくない非行のあつた場合」に対して懲戒処分を下すことになっています。内閣閣僚は特別職ですからこの規定が適用されることはありませんが、当然上が行き当たりばったりの遣りたい放題なら、下もそれに倣います。内閣閣僚や国会議員が免除されているのは、明治の頃からの慣例か、妙な制約を課すことで充分な議論が重ねられないまま重要な法案が採決されてしまうのを防ぐためか、いずれにせよ、政治家、内閣の自浄能力を前提とした信頼がそこにあるはずです。
しかし、以後の経緯を見てもことごとく政治判断を避け、現場に丸投げ状態が続くのを見て、国民が何を思うかおわかりでしょうか。&lt;/p&gt;</description></item><item><title>日本に右翼などいない</title><link>https://notraitors.com/posts/2010-11-29-no-right-wing-in-japan/</link><pubDate>Mon, 29 Nov 2010 20:44:33 +0900</pubDate><guid>https://notraitors.com/posts/2010-11-29-no-right-wing-in-japan/</guid><description>&lt;p&gt;日本には、右翼勢力などいない。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;菅内閣が媚中、媚韓外交を繰り広げ、在日韓国人に参政権を与えることを韓国に約束するという暴挙に出ても、そよとも声が上がらない。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そもそも、参政権が国民固有の権利であることは論を俟つまでもなく、国民とは日本国籍を有している者に他ならない。特別永住者として日本に居住している、いわゆる在日韓国人は、帰化して日本国籍を取得するでもなく、さりとて帰国を希望するわけでもない。生活水準が高く、何かと配慮に恵まれる日本の生活を捨てるなど論外、しかし、帰化してしまうとただの日本人になってしまうので、何とか日本人より優越を保ち、特権を得ようとするためにそのような地位に自ら留まっているのである。つまり、自らの意思で日本の国民にならないでいるのに、権利だけ欲しがっているのである。そんなものにほいほい自国の主権を明け渡すような阿呆なマネはどこの国も行わない。が、その非常識を韓国人は要求しているのである。&lt;/p&gt;</description></item></channel></rss>