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    <title>売国奴お断り - No Traitors Allowed</title>
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    <description>Recent content on 売国奴お断り - No Traitors Allowed</description>
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      <title>プラットフォームを刷新</title>
      <link>/posts/2022-11-09-move-to-hugo/</link>
      <pubDate>Wed, 09 Nov 2022 21:51:59 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2022-11-09-move-to-hugo/</guid>
      <description>&lt;p&gt;&lt;a href=&#34;https://ja.wordpress.org/&#34;&gt;Wordpress&lt;/a&gt; の更新チェックが面倒臭くなったので、さくっと &lt;a href=&#34;https://gohugo.io/&#34;&gt;Hugo&lt;/a&gt; にプラットフォームを変更しました。元のコメントとかも移せればよかったのですが、私の拙い技術力では如何ともし難く…誠に申し訳ない。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
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      <title>NHK さんやらかす</title>
      <link>/posts/2022-10-20-nhk/</link>
      <pubDate>Thu, 20 Oct 2022 21:01:21 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2022-10-20-nhk/</guid>
      <description>&lt;p&gt;NHK がやらかしそう。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;何のことかは語るまでもないでしょう。未契約者や未払い者からは二倍の視聴料を徴収するとかほざいている件である。自分から首絞めに行ったかあと思うが、ちょうどいいトリガーになるんじゃないかと思ってる。テレビ離れが進んで今のラジオみたいにコアな趣味人だけが視聴する媒体になるきっかけになるだろうと。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そもそも受信機を設置したら日本放送協会と契約しなくてはならないとしたのは、&lt;strong&gt;戦前&lt;/strong&gt;のスクランブル技術なんて欠片もなかった時代に受益者負担の原則から施行されたものが始まりです。当時ラジオは高級贅沢品で、有名な「終戦の詔勅」放送を村や街の近所の者が集まって訊いているシーンなんかを映画で見たことがある人もいると思いますが、そんな各家庭に一台ずつなんて高くて買えないものだったんです。だから受益者負担も当然だったんです。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
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      <title>南京事件について – 反省</title>
      <link>/posts/2018-07-03-nankinjiken/</link>
      <pubDate>Tue, 03 Jul 2018 20:55:40 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2018-07-03-nankinjiken/</guid>
      <description>&lt;p&gt;ひょんなことから、以下のサイトの存在を知った。今更かよ、と思われても仕方ない。不勉強を恥じるばかりである。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;a href=&#34;http://yu77799.g1.xrea.com/&#34;&gt;南京事件－日中戦争　小さな資料集&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;事実がよく整理されており、必見のサイトである。よくある問題点も整理されており、南京事件の実在について丁寧に議論されている。思想の左右はあれども、諸氏はまずこのサイトを読んで、しかる後に事実に基づいて議論されたい。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
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      <title>Twitter さん、やらかす</title>
      <link>/posts/2018-04-10-twitter/</link>
      <pubDate>Tue, 10 Apr 2018 20:52:23 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2018-04-10-twitter/</guid>
      <description>&lt;p&gt;Twitter アカウント、@mzch が凍結された。問題とされたのは以下の内容のツイート。&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;
&lt;p&gt;戦前も戦後もなにかにつけ暴力で物事を解決しようとするのがサヨクの特徴。逆らえば殺す、が連中の信条。昨今右傾化といわれているのも、若者が常識に従うようになっただけ。老害パヨクはとっと死ね！ &lt;a href=&#34;https://t.co/XOBUsPw7DY&#34;&gt;https://t.co/XOBUsPw7DY&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;
&lt;/blockquote&gt;</description>
    </item>
    
    <item>
      <title>歴史を捏造する中国と韓国</title>
      <link>/posts/2013-08-20-china-and-korea/</link>
      <pubDate>Tue, 20 Aug 2013 20:46:00 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2013-08-20-china-and-korea/</guid>
      <description>&lt;p&gt;まずは中華人民共和国。代表は「南京大虐殺」。私は、&lt;a href=&#34;https://www.amazon.jp/dp/4022608056&#34;&gt;本多勝一『中国の旅』&lt;/a&gt;も読んだが、南京大虐殺に関する部分はすべて本人証言だけで構成されており、悪意を以て日本を貶めようとした書であると断定する。この本は中国の南京大虐殺プロパガンダの引き金となった本であり、これだけで朝日新聞社は日本国民に対して謝罪と賠償を行った上で、国際社会に対して弁明を行う責任があるが、知らん顔をしている。さすが、日本を第二次世界大戦へ大衆を煽り駆り立て戦意を高揚させておきながら、GHQ のお咎めを受けることを畏れて軍部に全責任をなすりつけた無責任新聞社だけある。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
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      <title>ネトウヨとは何か?</title>
      <link>/posts/2013-08-14-netouyo/</link>
      <pubDate>Wed, 14 Aug 2013 20:30:40 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2013-08-14-netouyo/</guid>
      <description>&lt;p&gt;答え：ネトウヨなどいない。Q.E.D.&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;最近、友人連中と話をしていると「ネトウヨ」とか言うんだっけ? と問い返される機会が増えている。それも大学時代の友人からも聞かれたので、正直がっくりきた。私はコミュニストに近い思想の持ち主である。しかし現実の共産主義者は独裁主義者であり全体主義者であり、故国を破壊して顧みないので激しく嫌悪している。正直、あんな腐った連中に共産主義を標榜しないでもらいたい。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
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      <title>日本人の原点に農耕はない</title>
      <link>/posts/2013-08-13-not-noko/</link>
      <pubDate>Tue, 13 Aug 2013 20:17:06 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2013-08-13-not-noko/</guid>
      <description>&lt;p&gt;次のブログ記事が、&lt;a href=&#34;https://tumblr.com/&#34;&gt;Tumblr&lt;/a&gt; でリブログされているのを見かけました。
&lt;a href=&#34;https://shinjihi.hatenablog.com/entry/2013/08/13/165545&#34;&gt;https://shinjihi.hatenablog.com/entry/2013/08/13/165545&lt;/a&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;このブログの著者の言わんとしていることはわかるし、それは大いに肯定したいところなんだけど、いかんせん論拠が正しくなくては全面的に賛成とは言えなくなってしまいます。なぜなら、日本人の気質の淵源として「農耕」が挙げられていますが、それが全て間違いなので仕方がありません。以下、各論にて示します。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
    <item>
      <title>『中国正史』に見える古代日本</title>
      <link>/posts/2013-08-11-chinese-historiographyk/</link>
      <pubDate>Sun, 11 Aug 2013 20:10:20 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2013-08-11-chinese-historiographyk/</guid>
      <description>&lt;p&gt;「『&lt;a href=&#34;/china/&#34;&gt;中国正史』に見える古代日本&lt;/a&gt;」を作成しました。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
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      <title>自民党依存症</title>
      <link>/posts/2013-08-07-jiminto-izonsho/</link>
      <pubDate>Wed, 07 Aug 2013 19:49:05 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2013-08-07-jiminto-izonsho/</guid>
      <description>&lt;p&gt;最近、&lt;a href=&#34;https://www.jimin.jp/activity/colum/116667.html&#34;&gt;自民党の改憲案&lt;/a&gt;を腐してるツイートに突っ込んだら&lt;a href=&#34;https://togetter.com/li/544735&#34;&gt;軽くバトル&lt;/a&gt;になってしまった。要は観念サヨク特有の「何が何でも&lt;a href=&#34;https://www.jimin.jp/&#34;&gt;自民&lt;/a&gt;は悪い」という聞き飽きた文句の繰り返しである。&lt;a href=&#34;https://news.livedoor.com/article/detail/7920334/&#34;&gt;麻生財務大臣のナチ発言捏造&lt;/a&gt;など、マスゴミも&lt;a href=&#34;https://www.dpj.or.jp/&#34;&gt;売国政党民主党&lt;/a&gt;を大絶賛していた過去を正当化するために、いや、おそらくはそんなことなどけろりと忘れて、自民バッシングに余念が無い。マスゴミが腐っているのは戦前からだからもうどうしようもなく、立ち枯れさせてしまうしかないが、売国サヨクもひどさは勝るとも劣らずのレベルであることを再確認した。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
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      <title>『日本婚姻史概説』を公開しました</title>
      <link>/posts/2013-07-13-marital-history/</link>
      <pubDate>Sat, 13 Jul 2013 19:27:56 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2013-07-13-marital-history/</guid>
      <description>&lt;p&gt;『&lt;a href=&#34;/sexual-social-relationship/&#34;&gt;日本婚姻史概説&lt;/a&gt;』を公開しました。ぜひご覧になって感想をおよせ下さい。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
    <item>
      <title>日本の古代史を考える—補足7『論衡』</title>
      <link>/posts/2013-06-30-ronkou/</link>
      <pubDate>Sun, 30 Jun 2013 19:10:04 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2013-06-30-ronkou/</guid>
      <description>&lt;p&gt;後漢時代に王充が著した『論衡』は、当時流行していた讖緯説・陰陽五行説に基づく迷妄虚構の説・誇大な説などの不合理を徹底的に批判した書物です。ですので、以下の記述を虚妄であると片付けることはできません。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;span style=&#34;font-size:x-large;&#34;&gt;&lt;strong&gt;&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%91%A8_%28%E7%8E%8B%E6%9C%9D%29&#34;&gt;周&lt;/a&gt;之時　天下太平　倭人來獻暢&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt; 草 (第五卷　異虚第十八)&lt;br /&gt;
&lt;span style=&#34;font-size:x-large;&#34;&gt;&lt;strong&gt;&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%91%A8_%28%E7%8E%8B%E6%9C%9D%29&#34;&gt;周&lt;/a&gt;時天下太平　&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%8A%E8%A3%B3&#34;&gt;越裳&lt;/a&gt;獻白雉　倭人貢鬯草&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt; (第八卷　儒增第二十六)&lt;br /&gt;
&lt;span style=&#34;font-size:x-large;&#34;&gt;&lt;strong&gt;&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E7%8E%8B_%28%E5%91%A8%29&#34;&gt;成王&lt;/a&gt;之時　越常獻雉　倭人貢暢&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt; (第十九卷　恢國第五十八)
&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
    <item>
      <title>日本の古代史を考える—補足6『魏略』</title>
      <link>/posts/2013-06-26-giryaku/</link>
      <pubDate>Wed, 26 Jun 2013 17:42:14 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2013-06-26-giryaku/</guid>
      <description>&lt;p&gt;『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F%E7%95%A5&#34;&gt;魏略&lt;/a&gt;』は&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%9A%E8%B1%A2&#34;&gt;魚豢&lt;/a&gt;によって編まれた書物で、元々は『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%BF%97_%28%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E6%9B%B8%29&#34;&gt;三国志&lt;/a&gt;』「魏書」と同じ資料を参照して書かれたものだと思われます。現在は写本も伝わっておらず、後の書物に引用された部分が残されている程度です。書かれた年代も&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F_%28%E4%B8%89%E5%9B%BD%29&#34;&gt;魏&lt;/a&gt;末から&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%99%8B&#34;&gt;晋&lt;/a&gt;初ということしかわかっておらず、具体的な編年については定まっていません。ところがその後世に引用された部分に、倭のことが比較的多く出てくるので、日本では早くから注目された書物でもあります。以下、倭に関する引用部分の原文、訓読、現代語訳をあげます。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
    <item>
      <title>婚姻制度の歴史を考える—⑦禁婚</title>
      <link>/posts/2013-06-25-marital-history-7/</link>
      <pubDate>Tue, 25 Jun 2013 17:03:35 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2013-06-25-marital-history-7/</guid>
      <description>&lt;p&gt;婚姻を考察する上で、必ず考慮しなくてはならない要素に「禁婚」がある。文字通り、結婚してはいけない相手を定めることである。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;現在の日本においては、&lt;/p&gt;
&lt;ul&gt;
&lt;li&gt;民法734条「直系血族又は３親等内の傍系血族の間では、婚姻をすることができない。ただし、養子と養方の傍系血族との間では、この限りでない。」と禁婚の範囲が定められている。これには附則があり「2　第817条の9の規定により親族関係が終了した後も、前項と同様とする。」&lt;/li&gt;
&lt;li&gt;同735条「直系姻族の間では、婚姻をすることができない。第728条又は第817条の9の規定により姻族関係が終了した後も、同様とする。」と姻族でも直系は不可とする規定がある。&lt;/li&gt;
&lt;li&gt;同736条「養子若しくはその配偶者又は養子の直系卑属若しくはその配偶者と養親又はその直系尊属との間では、第729条の規定により親族関係が終了した後でも、婚姻をすることができない。」で、一度養子を取ったら縁組みを解消しても結婚できないよと定めている。&lt;/li&gt;
&lt;/ul&gt;
&lt;p&gt;小難しい言葉が出てくるが、簡単に言うと「直系の血縁（親子孫祖父母など）＋三親等以内の血縁（兄弟姉妹オジオバ甥姪）と、結婚した相手の親および連れ子とは離婚しても結婚できないよ。一度養子しちゃったらそれも同じ」ということだ。今の日本では当たり前すぎて誰も疑問を抱かないだろうが、これ、近代国家の禁婚規定としてはかなり甘い制度であると述べたら読者は驚かれるであろうか。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
    <item>
      <title>日本の古代史を考える—補足5『後漢書』東夷伝倭人条全文</title>
      <link>/posts/2013-06-23-gokanjotoiden/</link>
      <pubDate>Sun, 23 Jun 2013 14:59:59 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2013-06-23-gokanjotoiden/</guid>
      <description>&lt;p&gt;全文を引かずに揶揄してばかりだと不公平なので、以下に全文と訓読文をあげます。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;原文&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;span style=&#34;font-size:x-large; color:#000080;&#34;&gt;&lt;strong&gt;倭在韓東南大海中依山㠀爲居凡百餘國自武帝滅朝鮮使驛通於漢者三十許國國皆稱王丗丗傳統其大倭王居邪馬臺國樂浪郡徼去其國萬二千里去其西北界拘邪韓國七千餘里其地大較在會稽東冶之東與朱崖儋耳相近故其法俗多同土宜禾稻麻紵蠶桑知織績爲縑布出白珠青玉其山有丹土氣温腝冬夏生菜茹無牛馬虎豹羊鵲其兵有矛楯木弓竹矢或以骨爲鏃男子皆黥面文身以其文左右大小別尊卑之差其男衣皆橫幅結束相連女人被髮屈紒衣如單被貫頭而著之並以丹坋身如中國之用粉也有城柵屋室父母兄弟異處唯會同男女無別飲食以手而用籩豆俗皆徒跣以蹲踞爲恭敬人性嗜酒多壽考至百餘歳者甚衆國多女子大人皆有四五妻其餘或兩或三女人不淫不妒又俗不盜竊少爭訟犯法者沒其妻子重者滅其門族其死停喪十餘日家人哭泣不進酒食而等類就歌舞爲樂灼骨以卜用決吉凶行來度海令一人不櫛沐不食肉不近婦人名曰持衰若在塗吉利則雇以財物如病疾遭害以爲持衰不謹便共殺之建武中元二年倭奴國奉貢朝賀使人自稱大夫倭國之極南界也光武賜以印綬安帝永初元年倭國王帥升等獻生口百六十人願請見桓靈閒倭國大亂更相攻伐歴年無主有一女子名曰卑彌呼年長不嫁事鬼神道能以妖惑衆於是共立爲王侍婢千人少有見者唯有男子一人給飲食傳辭語居處宮室樓觀城柵皆持兵守衞法俗嚴峻自女王國東度海千餘里至拘奴國雖皆倭種而不屬女王自女王國南四千餘里至朱儒國人長三四尺自朱儒東南行船一年至裸國黑齒國使驛所傳極於此矣&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
    <item>
      <title>日本の古代史を考える—補足4『漢書』地理志燕地条を正しく引用する</title>
      <link>/posts/2013-06-21-kanjochirishi/</link>
      <pubDate>Fri, 21 Jun 2013 14:07:58 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2013-06-21-kanjochirishi/</guid>
      <description>&lt;p&gt;『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E6%9B%B8&#34;&gt;漢書&lt;/a&gt;』地理志燕地条をちゃんと引用したことがないのに気がついたので、内容の正確な理解を助けるために、改めて必要個所を抜き出し、訳文を付ける。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
    <item>
      <title>日本の古代史を考える—補足3「神武東征」</title>
      <link>/posts/2013-06-18-jinmutosei/</link>
      <pubDate>Tue, 18 Jun 2013 13:34:07 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2013-06-18-jinmutosei/</guid>
      <description>&lt;p&gt;「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E6%9D%B1%E5%BE%81&#34;&gt;神武東征&lt;/a&gt;」と言っても今時の若い人どころか、年寄りでも、あああれか、と分かる人は少ないのではないでしょうか。初代天皇、&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87&#34;&gt;神武天皇&lt;/a&gt;が九州を出発して大和へ向かい、天下を治めたという、『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BA%8B%E8%A8%98&#34;&gt;古事記&lt;/a&gt;』『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80&#34;&gt;日本書紀&lt;/a&gt;』に収められている話です。ところで「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E6%9D%B1%E5%BE%81&#34;&gt;神武東征&lt;/a&gt;」どころか第十代の&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B4%87%E7%A5%9E%E5%A4%A9%E7%9A%87&#34;&gt;崇神天皇&lt;/a&gt;より前は、全部架空の人物に架空の出来事を当てはめた起源説明神話に過ぎないという説が未だ根強いのですが、そんな戯けたことを言う人は、&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%92%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3&#34;&gt;シュリーマン&lt;/a&gt;が&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%82%B9&#34;&gt;トロイヤ&lt;/a&gt;を発掘した故事をよくよく噛みしめるべきです。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
    <item>
      <title>日本の古代史を考える—補足2「新唐書」</title>
      <link>/posts/2013-06-16-shintojo/</link>
      <pubDate>Sun, 16 Jun 2013 13:12:27 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2013-06-16-shintojo/</guid>
      <description>&lt;p&gt;『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%94%90%E6%9B%B8&#34;&gt;新唐書&lt;/a&gt;』は、明らかに『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80&#34;&gt;日本書紀&lt;/a&gt;』を参照しているし、『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%94%90%E6%9B%B8&#34;&gt;新唐書&lt;/a&gt;』が書かれた頃には「倭」は「日本」に併呑されて随分経っているから、もういいやと思っていたのですが、一応目だけは通しておくかと思って東夷伝日本条を眺めていたら、意外な表現に出会いました。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
    <item>
      <title>日本の古代史を考える—補足「倭人」について</title>
      <link>/posts/2013-06-16-wajin/</link>
      <pubDate>Sun, 16 Jun 2013 13:03:55 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2013-06-16-wajin/</guid>
      <description>&lt;p&gt;あちこちウェブで古代日本の資料を渉猟していると、『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%96%E8%A1%A1&#34;&gt;論衡&lt;/a&gt;』に見られる「倭人」は江南人のことで、日本にいた倭人ではないとする主張をよく見かける。というか、皆そういう主張をしていることに驚いた。してみると『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%96%E8%A1%A1&#34;&gt;論衡&lt;/a&gt;』を書いた&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E5%85%85&#34;&gt;王充&lt;/a&gt;はそれを知らずに引用したのだろうか。&lt;a href=&#34;http:s//ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E5%85%85&#34;&gt;王充&lt;/a&gt;が生きた後漢時代では「倭」といえば日本のことだったから、知っていれば一言追記したであろうから、知らなかったのだという意見に一応肯けないこともない。しかし、&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
    <item>
      <title>事実に基づく歴史を伝えよう</title>
      <link>/posts/2013-06-16-teach-right-history/</link>
      <pubDate>Sun, 16 Jun 2013 08:06:17 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2013-06-16-teach-right-history/</guid>
      <description>&lt;p&gt;婚姻制度の変遷から日本の古代史と、随分書いてきましたが、その目的は正しい歴史を知ることにありました。正しい＝&lt;span style=&#34;color:red;&#34;&gt;事実&lt;/span&gt;に基づいた歴史です。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;とはいえ、婚姻制度が原初「&lt;a href=&#34;/posts/2013-05-21-marital-history-1/&#34;&gt;族長婚&lt;/a&gt;」であったというのは、完全な想像です。ただ、過酷な生存環境にあってヒトの族が生き延びる道はリーダーに委ねられており、その見返りに性が与えられたというのは、全くの妄想であるとも思っていません。ヒトの性欲の強さと常時発情しているという特異性、性欲の強さに比例する以上に強烈な快感は、裏返せばそれほど激烈でなければ極限まで追い詰められたヒトの救いとならなかったことを示します。よく女性の性における快感は男性の比ではないと言いますが、そこまで強固に性への動機付けを女にも必要としたのは、何も出産負担が異常に重いというだけではなく、常時リーダーを挑発して性交させる＝緊張を発散させるという必要があったからでしょう。リーダーはそのメンバーの生存に懸ける期待に応えるため、不可能な課題に取り組まざるを得ませんでした。もちろん、全員で取り組んだでしょうが、決定はリーダーが下します。その中で祖霊との対話欲求が言葉を生み出し、同時に宗教を生み出したことを書きました。よくヒトは二足歩行をしたことにより空いた手を使うことを考え出し、そこから道具を発明し、道具の発展が言葉をもたらしたと説明されますが、それは学者の妄想にすぎません。道具を発明するためには、その効果と使用法がまず概念として先行して必要です。その概念は言葉によって支えられています。つまり、初めに言葉ありきなのです。ニホンザルやチンパンジーにおける実験や観察でも明らかなように、道具を使えるからといって言葉を生み出すことはできません。このまま気が狂って死んでしまうのではないかというくらい、何百万年も頭脳を酷使し続けたことが、言葉を見いだし、宗教を見いだし、遂には道具を見いだしたのです。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
    <item>
      <title>日本の古代史を考える—⑳上宮法皇と聖徳太子</title>
      <link>/posts/2013-06-15-joguhooh/</link>
      <pubDate>Sat, 15 Jun 2013 16:52:59 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2013-06-15-joguhooh/</guid>
      <description>&lt;p&gt;&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E9%9A%86%E5%AF%BA&#34;&gt;法隆寺&lt;/a&gt;の金堂に安置されている&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E8%BF%A6%E4%B8%89%E5%B0%8A&#34;&gt;釈迦三尊&lt;/a&gt;像の光背に次の文章が刻まれています。（右から縦書きしています）&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;span style=&#34;writing-mode: vertical-rl; font-size:x-large; height: 15em;line-height:1.2em;&#34;&gt;&lt;span style=&#34; color:#000080&#34;&gt;&lt;strong&gt;法興元丗一年歳次辛巳十二月鬼
前太后崩明年正月廿二日上宮法
皇枕病弗悆干食王后仍以労疾並
著於床時王后王子等及與諸臣深
懐愁毒共相發願&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;strong&gt;仰依三寳當造釋
像尺寸王身蒙此願力轉病延壽安
住世間若是定業以背世者往登浄
土早昇妙果&lt;/strong&gt;&lt;span style=&#34;color:#000080;&#34;&gt;&lt;strong&gt;二月廿一日癸酉王后
即世翌日法皇登遐癸未年三月中
如願敬造釋迦尊像并侠侍及荘嚴
具竟&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;strong&gt;乗斯微福信道知識現在安隠
出生入死随奉三主紹隆三寳遂共
彼岸普遍六道法界含識得脱苦縁
同趣菩提使司馬鞍首止利佛師造&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
    <item>
      <title>日本の古代史を考える—⑲壬申の乱</title>
      <link>/posts/2013-06-14-jinshinnnoran/</link>
      <pubDate>Fri, 14 Jun 2013 14:34:48 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2013-06-14-jinshinnnoran/</guid>
      <description>&lt;p&gt;さて、&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%99%BA%E5%A4%A9%E7%9A%87&#34;&gt;天智天皇&lt;/a&gt;は即位してみると、&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87&#34;&gt;大海人皇子&lt;/a&gt;の影響力が大きくなっていることに改めて危惧を抱いたかも知れません。「大皇弟」という尊称を奉った&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87&#34;&gt;大海人皇子&lt;/a&gt;は、自分の後を継ぐ&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%98%E6%96%87%E5%A4%A9%E7%9A%87&#34;&gt;大友皇子&lt;/a&gt;を大きく引き離しています。オオキミが捕虜になったとは言え、「倭國」はなくなってしまったわけではありません。&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%99%BA%E5%A4%A9%E7%9A%87&#34;&gt;中大兄皇子&lt;/a&gt;としては倭國と修好し、あるいは倭國の力を引き出すのに、&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87&#34;&gt;大海人皇子&lt;/a&gt;は得がたい協力者でした。また、国内統治という点でも、軍備という点でも&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87&#34;&gt;大海人皇子&lt;/a&gt;と皇子に随従してきた官僚たちは、卓越した識見を示し、事態の収拾と政策の実現に奔走してくれました。感謝してもしきれないとはこのことです。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
    <item>
      <title>日本の古代史を考える—⑱大化改新（後編）</title>
      <link>/posts/2013-06-13-taikanokaishin-2/</link>
      <pubDate>Thu, 13 Jun 2013 17:40:25 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2013-06-13-taikanokaishin-2/</guid>
      <description>&lt;p&gt;&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E6%88%91%E6%B0%8F&#34;&gt;蘇我氏&lt;/a&gt;という氏族は不思議な氏族です。はっきりしている系譜もその宗家は&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E6%88%91%E7%A8%B2%E7%9B%AE&#34;&gt;稲目&lt;/a&gt;ー&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E6%88%91%E9%A6%AC%E5%AD%90&#34;&gt;馬子&lt;/a&gt;ー&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E6%88%91%E8%9D%A6%E5%A4%B7&#34;&gt;蝦夷&lt;/a&gt;ー&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E6%88%91%E5%85%A5%E9%B9%BF&#34;&gt;入鹿&lt;/a&gt;と、四代しかありません。現在伝わっている系譜では&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%86%85%E5%AE%BF%E7%A6%B0&#34;&gt;武内宿禰&lt;/a&gt;の末裔とされており、&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%9B%E5%9F%8E%E6%B0%8F&#34;&gt;葛城氏&lt;/a&gt;を出自とする一族とも言われています。あるいは&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E6%B8%88&#34;&gt;百済&lt;/a&gt;系の&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E6%9D%A5%E4%BA%BA&#34;&gt;渡来人&lt;/a&gt;とする人もあり、どうやって力を付けたのか不思議な氏族です。もちろん傍系にはたくさんの人間がいたでしょうし、出自が古代の名族&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%9B%E5%9F%8E%E6%B0%8F&#34;&gt;葛城氏&lt;/a&gt;とはいえ、実質たった四代で成り上がったほとんど新興と言ってよい豪族なのは間違いありません。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
    <item>
      <title>日本の古代史を考える—⑰大化改新（前編）</title>
      <link>/posts/2013-06-13-taikanokaishin-1/</link>
      <pubDate>Thu, 13 Jun 2013 14:18:41 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2013-06-13-taikanokaishin-1/</guid>
      <description>&lt;p&gt;古代の画期といえば、「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%8C%96%E3%81%AE%E6%94%B9%E6%96%B0&#34;&gt;大化の改新&lt;/a&gt;」を挙げるのが従来の定説でした。しかし、最近は所謂「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%B9%E6%96%B0%E3%81%AE%E8%A9%94&#34;&gt;改新の詔&lt;/a&gt;」が後代、&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8B%E4%BB%A4%E5%88%B6&#34;&gt;律令制&lt;/a&gt;が施行されてから創作されたものであることが確実になり、また、&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%99%BA%E5%A4%A9%E7%9A%87&#34;&gt;天智天皇&lt;/a&gt;の施策も「改新」めいた点が見られないことから、「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%8C%96%E3%81%AE%E6%94%B9%E6%96%B0&#34;&gt;大化の改新&lt;/a&gt;」と言えるほどのことはなかったのではないかとも言われています。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;ではその契機となった「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%99%E5%B7%B3%E3%81%AE%E5%A4%89&#34;&gt;乙巳の変&lt;/a&gt;」もなかったかというとそんなことはありません。「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A5%E9%B9%BF%E7%A5%9E%E7%A4%BE&#34;&gt;入鹿神社&lt;/a&gt;」という&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E6%88%91%E5%85%A5%E9%B9%BF&#34;&gt;蘇我入鹿&lt;/a&gt;を祭った神社が伝世されています。菅原道真の例を見れば分かる通り、死後その人を祀るというのは、恨みを呑んで死んだその人の霊が祟りをなすと懼れられたからです。&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E6%88%91%E5%85%A5%E9%B9%BF&#34;&gt;蘇我入鹿&lt;/a&gt;も死後祟りをなすような死に方をした、つまり、&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E6%88%91%E5%85%A5%E9%B9%BF&#34;&gt;蘇我入鹿&lt;/a&gt;を殺し、蘇我宗家を滅ぼした事変は確かにあったのです。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
    <item>
      <title>日本の古代史を考える—⑯九州王朝について補足</title>
      <link>/posts/2013-06-12-ohcho/</link>
      <pubDate>Wed, 12 Jun 2013 14:00:00 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2013-06-12-ohcho/</guid>
      <description>&lt;p&gt;九州王朝について補足しておきます。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;strong&gt;1. 北九州は大陸、朝鮮半島に対する表玄関である。&lt;/strong&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;これは地図を見れば明らかですね。縄文時代より大陸、朝鮮半島から渡来人／帰化人がやってきて住み着いたとすれば、&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%BC%E5%AF%A7%E7%9C%81&#34;&gt;遼東&lt;/a&gt;→朝鮮半島→対馬→壱岐→博多湾岸のルート&lt;br /&gt;
&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%9F%E5%8D%97_%28%E4%B8%AD%E5%9B%BD%29&#34;&gt;江南&lt;/a&gt;→（台湾）→琉球→南西諸島→薩摩、天草、北九州&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;のいずれかのルートで到来したことは明白です。常に先進文明を真っ先に受容する地に日本最初の王権が登場したとして何の不思議があるでしょう。奈良の田舎に誕生したとする現在の学説の方がよほど奇異です。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
    <item>
      <title>日本の古代史を考える—⑮磐井の乱</title>
      <link>/posts/2013-06-11-iwainoran/</link>
      <pubDate>Tue, 11 Jun 2013 12:47:14 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2013-06-11-iwainoran/</guid>
      <description>&lt;p&gt;重要な項目を検討し忘れていたので、ここで補おうと思います。古代日本で「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AC%E7%94%B3%E3%81%AE%E4%B9%B1&#34;&gt;壬申の乱&lt;/a&gt;」と並ぶ大内乱「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A3%90%E4%BA%95%E3%81%AE%E4%B9%B1&#34;&gt;磐井の乱&lt;/a&gt;」です。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BA%8B%E8%A8%98&#34;&gt;古事記&lt;/a&gt;』&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%99%E4%BD%93%E5%A4%A9%E7%9A%87&#34;&gt;継体天皇&lt;/a&gt;の条に、&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;span style=&#34;font-size:x-large; color:#000066;&#34;&gt;&lt;strong&gt;此御世、竺紫君石井、不從天皇之命而、多无禮。故、遣物部荒甲之大連、大伴之金村連二人而、殺石井也。&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;span style=&#34;color:#880000&#34;&gt;&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%91%E7%B4%AB%E5%9B%BD&#34;&gt;筑紫&lt;/a&gt;の君&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A3%90%E4%BA%95&#34;&gt;石井&lt;/a&gt;が皇命に從わないで、無禮な事が多くあった。そこで&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A9%E9%83%A8%E9%BA%81%E9%B9%BF%E7%81%AB&#34;&gt;物部の荒甲&lt;/a&gt;の大連、&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E9%87%91%E6%9D%91&#34;&gt;大伴の金村&lt;/a&gt;の連の兩名を遣わして、&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A3%90%E4%BA%95&#34;&gt;石井&lt;/a&gt;を殺させた。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;と内乱があったことが記されています。万事簡略な『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BA%8B%E8%A8%98&#34;&gt;古事記&lt;/a&gt;』ゆえ、言及されていること自体が驚きです。実際、&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%84%E7%95%A5%E5%A4%A9%E7%9A%87&#34;&gt;雄略天皇&lt;/a&gt;の頃にあったとされる「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%82%99%E6%B0%8F%E3%81%AE%E4%B9%B1&#34;&gt;吉備氏の乱&lt;/a&gt;」も、その後にあったという「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%9F%E5%B7%9D%E7%9A%87%E5%AD%90%E3%81%AE%E4%B9%B1&#34;&gt;星川皇子の乱&lt;/a&gt;」にも一言も触れていません。それだけこの乱が重視される謂われがあると見なさなくてはなりません。一方、『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80&#34;&gt;日本書紀&lt;/a&gt;』も「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A3%90%E4%BA%95%E3%81%AE%E4%B9%B1&#34;&gt;磐井の乱&lt;/a&gt;」の模様を伝えています。巻十七「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%99%E4%BD%93%E5%A4%A9%E7%9A%87&#34;&gt;男大迹天皇 繼體天皇&lt;/a&gt;」に、&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
    <item>
      <title>日本の古代史を考える—⑭歴史学者への疑問提示</title>
      <link>/posts/2013-06-10-questions/</link>
      <pubDate>Mon, 10 Jun 2013 06:22:32 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2013-06-10-questions/</guid>
      <description>&lt;p&gt;『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E6%9B%B8&#34;&gt;漢書&lt;/a&gt;』地理志に始まり、『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E5%94%90%E6%9B%B8&#34;&gt;舊唐書&lt;/a&gt;』東夷伝倭国条・日本國条まで見てきたが、先入観のない素朴な目で見ると、従来学校で教えられてきた歴史の内容に大きな疑問を抱かざるを得ない点が次々に見つかった。これを列挙し、機会があれば日本の古代史を専門とする歴史学者に問うてみたい。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
    <item>
      <title>日本の古代史を考える—⑬漢書地理志再考</title>
      <link>/posts/2013-06-10-kanjo/</link>
      <pubDate>Mon, 10 Jun 2013 05:56:08 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2013-06-10-kanjo/</guid>
      <description>&lt;p&gt;『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E6%9B%B8&#34;&gt;漢書&lt;/a&gt;』地理志について、考証、説明が不足していたので改めて取り上げます。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;span style=&#34;font-size:x-large; color:#000066;&#34;&gt;&lt;strong&gt;然東夷天性柔順異於三方之外故孔子悼道不行設浮於海欲居九夷有以也夫樂浪海中有倭人分爲百餘國以歳時來獻見云&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;span style=&#34;color:#880000&#34;&gt;かくして、東夷の天性は柔順であり、そこが北狄、南蛮、西戎とは異なる点である。故に孔先生は道が行われないのを遺憾に思い、筏に乗って海に浮かび、九夷の地に行きたいと仰った。それには理由があったのである。楽浪郡の先の海中に倭人の地があり、全部で百あまりの国がある。定期的に貢ぎ物を持ってきて天子へお目見えしていたと伝わっている。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E6%BC%A2&#34;&gt;前漢&lt;/a&gt;&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%B8%9D_%28%E6%BC%A2%29&#34;&gt;武帝&lt;/a&gt;以来、&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%84%92%E6%95%99&#34;&gt;儒教&lt;/a&gt;は漢の国是でした。&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%94%E5%AD%90&#34;&gt;孔子&lt;/a&gt;は聖人であり、単なる憶測や伝聞でその人となりを揶揄するようなまねは厳に慎まなければならないことでした。畢竟、&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%94%E5%AD%90&#34;&gt;孔子&lt;/a&gt;に筆が及ぶということは、相当の確信があってのことだということになります。そのような時代背景で記述された『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E6%9B%B8&#34;&gt;漢書&lt;/a&gt;』においてもそれは同様です。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
    <item>
      <title>日本の古代史を考える—⑫舊唐書東夷伝倭国条・日本國条</title>
      <link>/posts/2013-06-10-tojo/</link>
      <pubDate>Mon, 10 Jun 2013 04:44:44 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2013-06-10-tojo/</guid>
      <description>&lt;p&gt;「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%8B&#34;&gt;隋&lt;/a&gt;」の後は「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90&#34;&gt;唐&lt;/a&gt;」ということで、「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90&#34;&gt;唐&lt;/a&gt;」の歴史書での倭国、日本を見ていくわけですが、『唐書』と呼ばれる書物は二種類あります。ひとつは、&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E4%BB%A3%E5%8D%81%E5%9B%BD&#34;&gt;五代十国時代&lt;/a&gt;に「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E6%99%8B&#34;&gt;後晋&lt;/a&gt;」で編纂された『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E5%94%90%E6%9B%B8&#34;&gt;唐書&lt;/a&gt;』です。西暦945年に完成しています。ただ、その翌年に「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E6%99%8B&#34;&gt;後晋&lt;/a&gt;」が滅んでしまっていることで察することができるように、国自体が安定しておらず、編纂責任者も途中で交代していたりいます。そのため錯誤や遺漏が多く、記事も初唐の頃に偏っており晩唐の頃の物がほとんどないなど、後世の評判は良くありませんでした。そこで、&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8B_%28%E7%8E%8B%E6%9C%9D%29&#34;&gt;北宋&lt;/a&gt;（こちらは、&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%B8%85%E7%9B%9B&#34;&gt;平清盛&lt;/a&gt;が&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%AE%8B%E8%B2%BF%E6%98%93&#34;&gt;日宋貿易&lt;/a&gt;を行った、あの&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8B_%28%E7%8E%8B%E6%9C%9D%29&#34;&gt;宋&lt;/a&gt;です）の時代になってから、&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AC%A7%E9%99%BD%E8%84%A9&#34;&gt;欧陽脩&lt;/a&gt;らによって新しい『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%94%90%E6%9B%B8&#34;&gt;唐書&lt;/a&gt;』が編まれ、西暦1060年に&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8B_%28%E7%8E%8B%E6%9C%9D%29&#34;&gt;宋&lt;/a&gt;の&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%81%E5%AE%97_%28%E5%AE%8B%29&#34;&gt;仁宗&lt;/a&gt;に献上されました。そこで古い方の『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E5%94%90%E6%9B%B8&#34;&gt;唐書&lt;/a&gt;』を『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E5%94%90%E6%9B%B8&#34;&gt;舊唐書&lt;/a&gt;』、新しい『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%94%90%E6%9B%B8&#34;&gt;唐書&lt;/a&gt;』を『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%94%90%E6%9B%B8&#34;&gt;新唐書&lt;/a&gt;』あるいは単に『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%94%90%E6%9B%B8&#34;&gt;唐書&lt;/a&gt;』と呼びます。新しいものができているなら、古い『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E5%94%90%E6%9B%B8&#34;&gt;舊唐書&lt;/a&gt;』は無視して良いかというと、実は作りが雑だということは、生の資料がそのまま引き写しされているという利点があるということでもあり、決して資料価値が低いわけではありません。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
    <item>
      <title>日本の古代史を考える—⑪隋書東夷傳俀国条</title>
      <link>/posts/2013-06-09-zuisho/</link>
      <pubDate>Sun, 09 Jun 2013 20:07:53 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2013-06-09-zuisho/</guid>
      <description>&lt;p&gt;やっとたどり着いた感があります。『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%8B%E6%9B%B8&#34;&gt;隋書&lt;/a&gt;』東夷傳俀国条です。『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%8B%E6%9B%B8&#34;&gt;隋書&lt;/a&gt;』は、「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90&#34;&gt;唐&lt;/a&gt;」の&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%AE%97_%28%E5%94%90%29&#34;&gt;太宗&lt;/a&gt;の勅により&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F%E5%BE%B4&#34;&gt;魏徴&lt;/a&gt;、&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%AD%AB%E7%84%A1%E5%BF%8C&#34;&gt;長孫無忌&lt;/a&gt;らが撰進しました。書かれているのは「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%8B&#34;&gt;隋&lt;/a&gt;」の時代です。西暦581年から西暦618年に当たります。かの有名な「日出ずる処の天子」という表現はおなじみではないでしょうか。『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%8B%E6%9B%B8&#34;&gt;隋書&lt;/a&gt;』からは、七世紀初頭の日本がどのような様子であったのかが覗えます。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
    <item>
      <title>日本の古代史を考える—⑩三国史記（新羅本紀）</title>
      <link>/posts/2013-06-07-shiragi/</link>
      <pubDate>Fri, 07 Jun 2013 19:02:31 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2013-06-07-shiragi/</guid>
      <description>&lt;p&gt;次に『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%8F%B2%E8%A8%98&#34;&gt;三国史記&lt;/a&gt;』の「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85&#34;&gt;新羅&lt;/a&gt;本紀」を見てみます。え? &lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%8F%A5%E9%BA%97&#34;&gt;高句麗&lt;/a&gt;は? というと、「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%8F%A5%E9%BA%97&#34;&gt;高句麗&lt;/a&gt;本紀」には「倭」のことが一言も出てきません。「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%BD%E5%A4%AA%E7%8E%8B%E7%A2%91&#34;&gt;好太王碑&lt;/a&gt;」が現にあり、倭と戦ったことを記しているのですから、現れないということ自体が不自然かつ胡散臭さ満点です。という目で「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85&#34;&gt;新羅&lt;/a&gt;本紀」を見てみると、&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%91%E5%BC%A5%E5%91%BC&#34;&gt;卑弥呼&lt;/a&gt;が二世紀に&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85&#34;&gt;新羅&lt;/a&gt;に遣使したとか書いてあって、中国の史書と比較検証できない三世紀以前の記事は、まず信用できないと言ってよいでしょう（&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%91%E5%BC%A5%E5%91%BC&#34;&gt;卑弥呼&lt;/a&gt;が生きたのは三世紀。物理的にありえません）。ということで、三世紀以降の記録から倭に関する部分を抜き出してみます。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
    <item>
      <title>日本の古代史を考える—⑨三国史記（百済本紀）</title>
      <link>/posts/2013-06-07-kudara/</link>
      <pubDate>Fri, 07 Jun 2013 18:40:42 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2013-06-07-kudara/</guid>
      <description>&lt;p&gt;ここで朝鮮に目を転じます。三世紀〜七世紀にかけて、朝鮮半島では「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%8F%A5%E9%BA%97&#34;&gt;高句麗&lt;/a&gt;」「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E6%B8%88&#34;&gt;百済&lt;/a&gt;」「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85&#34;&gt;新羅&lt;/a&gt;」が鼎立し、覇を争っていました。最終的に「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%9D%91%E6%B1%9F%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84&#34;&gt;白村江の戦い&lt;/a&gt;」で倭・&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E6%B8%88&#34;&gt;百済&lt;/a&gt;（この時既に&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E6%B8%88&#34;&gt;百済&lt;/a&gt;は滅亡していたので正確には&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E6%B8%88&#34;&gt;百済&lt;/a&gt;遺民）連合軍に、&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90&#34;&gt;唐&lt;/a&gt;・&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85&#34;&gt;新羅&lt;/a&gt;連合軍が大打撃を与え、倭はこの敗北から立ち直れないまま、&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85&#34;&gt;新羅&lt;/a&gt;が朝鮮を統一します。この三国の歴史を著したのが『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%8F%B2%E8%A8%98&#34;&gt;三国史記&lt;/a&gt;』です。&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%BA%97&#34;&gt;高麗&lt;/a&gt;十七代&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%81%E5%AE%97_%28%E9%AB%98%E9%BA%97%E7%8E%8B%29&#34;&gt;仁宗&lt;/a&gt;の命を受けて&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%AF%8C%E8%BB%BE&#34;&gt;金富軾&lt;/a&gt;らが編纂しました。この書は&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E9%BA%97&#34;&gt;高麗&lt;/a&gt;が&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85&#34;&gt;新羅&lt;/a&gt;の後継を自任していた上に、編纂者が&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85&#34;&gt;新羅&lt;/a&gt;王室の血を引いていたため、&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85&#34;&gt;新羅&lt;/a&gt;偏重かつ&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85&#34;&gt;新羅&lt;/a&gt;寄りの既述が目立ちます。そのため、その内容を充分に批判することなしに引用することは不用意の誹りを免れ得ません。とはいえ、倭と&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85&#34;&gt;新羅&lt;/a&gt;の激闘の歴史は見て取れますので、倭に関する部分を抜粋して、その様子をうかがうことにしましょう。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;なお、「&lt;a href=&#34;https://www006.upp.so-net.ne.jp/hinomotoshiki2/&#34;&gt;ひのもとの史記&lt;/a&gt;」さんの「&lt;a href=&#34;https://www006.upp.so-net.ne.jp/hinomotoshiki2/3/korea3.html&#34;&gt;三国史記の倭関連記事&lt;/a&gt;」が一覧表になっていてとても見やすいので、概略を掴むのにはもってこいです。是非ご覧になって下さい。トップページから「&lt;a href=&#34;https://www006.upp.so-net.ne.jp/hinomotoshiki2/3/index3.html&#34;&gt;ひのもとの史記・参&lt;/a&gt;」をクリックして、左サイドバー内「CONTENTS」の「&lt;a href=&#34;https://www006.upp.so-net.ne.jp/hinomotoshiki2/3/korea3.html&#34;&gt;三．三国史記&lt;/a&gt;」をクリックすれば見ることができます。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
    <item>
      <title>日本の古代史を考える—⑦広開土王碑</title>
      <link>/posts/2013-06-05-kokaidoohi/</link>
      <pubDate>Wed, 05 Jun 2013 03:40:58 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2013-06-05-kokaidoohi/</guid>
      <description>&lt;p&gt;時代は前後しますが、「&lt;a href=&#34;/posts/2013-06-05-sosho/&#34;&gt;⑥宋書夷蠻伝倭國条&lt;/a&gt;」でも触れた「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%BD%E5%A4%AA%E7%8E%8B%E7%A2%91&#34;&gt;好太王碑&lt;/a&gt;」、正式には「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%BD%E5%A4%AA%E7%8E%8B%E7%A2%91&#34;&gt;広開土王碑&lt;/a&gt;」に「倭」と「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%8F%A5%E9%BA%97&#34;&gt;高句麗&lt;/a&gt;」の戦争の様子が書かれているので、関連部分を抜き出して、見てみたいと思います。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;span style=&#34;font-size:x-large; color:#000066;&#34;&gt;&lt;strong&gt;百残新羅舊是屬民由來朝貢而倭以辛卯年來渡海破百残■■■羅以爲臣民&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;span style=&#34;color:#880000&#34;&gt;&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E6%B8%88&#34;&gt;百済&lt;/a&gt;・&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85&#34;&gt;新羅&lt;/a&gt;はもともと&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%8F%A5%E9%BA%97&#34;&gt;高句麗&lt;/a&gt;の属国であり、昔から朝貢してきていた。ところが、倭は辛卯の年に海を渡って来襲し、&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E6%B8%88&#34;&gt;百済&lt;/a&gt;、■■■羅（新羅？）を破り、自分たちの属国にしてしまった。&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
    <item>
      <title>日本の古代史を考える—⑥宋書夷蠻伝倭國条</title>
      <link>/posts/2013-06-05-sosho/</link>
      <pubDate>Wed, 05 Jun 2013 02:45:24 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2013-06-05-sosho/</guid>
      <description>&lt;p&gt;『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%8B%E6%9B%B8&#34;&gt;晋書&lt;/a&gt;』は、三国鼎立時代を終わらせた「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%8B%E7%8E%8B%E6%9C%9D&#34;&gt;晋&lt;/a&gt;」の正史で、西暦265年から420年までの出来事が収められている。ただし、倭人条は、泰始元年（西暦265年）の記事で終わっており、次に倭の名前が見えるのは安帝の義煕九年（西暦413年）であるため、四世紀の日本については何も情報がない。本稿で取り上げる『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8B%E6%9B%B8&#34;&gt;宋書&lt;/a&gt;』は、&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%8C%97%E6%9C%9D%E6%99%82%E4%BB%A3_%28%E4%B8%AD%E5%9B%BD%29&#34;&gt;南北朝時代&lt;/a&gt;の「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8B_%28%E5%8D%97%E6%9C%9D%29&#34;&gt;宋&lt;/a&gt;」（&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%B8%85%E7%9B%9B&#34;&gt;平清盛&lt;/a&gt;が&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%AE%8B%E8%B2%BF%E6%98%93&#34;&gt;日宋貿易&lt;/a&gt;を行った「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%AE%8B%E8%B2%BF%E6%98%93&#34;&gt;宋&lt;/a&gt;」とは時代が異なる国）の正史で、&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%89_%28%E5%8D%97%E6%9C%9D%29&#34;&gt;南斉&lt;/a&gt;の&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%B8%9D_%28%E5%8D%97%E6%9C%9D%E6%96%89%29&#34;&gt;武帝&lt;/a&gt;の命令で、&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%88%E7%B4%84&#34;&gt;沈約&lt;/a&gt;によって編まれた。西暦420年から479年までの出来事が記されている。かの有名な「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E3%81%AE%E4%BA%94%E7%8E%8B&#34;&gt;倭の五王&lt;/a&gt;」が登場するのであるが、当然記録が五世紀に入ってからなので、四世紀がまるまる空白として残る結果となった。いわゆる「空白の四世紀」である。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
    <item>
      <title>日本の古代史を考える—⑤晋書四夷伝倭人条</title>
      <link>/posts/2013-06-04-shinjo/</link>
      <pubDate>Tue, 04 Jun 2013 02:12:59 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2013-06-04-shinjo/</guid>
      <description>&lt;p&gt;『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%8B%E6%9B%B8&#34;&gt;晋書&lt;/a&gt;』は『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%BF%97&#34;&gt;三国志&lt;/a&gt;』に続く正史であるが、書かれたのは「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%90&#34;&gt;唐&lt;/a&gt;」になってからである。「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%8B_%28%E7%8E%8B%E6%9C%9D%29&#34;&gt;晋&lt;/a&gt;」は&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B8%E9%A6%AC%E6%87%BF&#34;&gt;司馬懿&lt;/a&gt;の一族が&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B9%E6%93%8D&#34;&gt;曹操&lt;/a&gt;の「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F_%28%E4%B8%89%E5%9B%BD%29&#34;&gt;魏&lt;/a&gt;」を簒奪して誕生した王朝で、西暦245年から420年まで続いた。三国に分裂していた中国を統一したのが「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%8B_%28%E7%8E%8B%E6%9C%9D%29&#34;&gt;晋&lt;/a&gt;」である。しかしその統一は束の間で、西暦317年に&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%88%E5%A5%B4&#34;&gt;匈奴&lt;/a&gt;（&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E8%B6%99&#34;&gt;前趙&lt;/a&gt;）の侵略を受け、南遷を余儀なくされた。それまでの晋を「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%99%8B&#34;&gt;西晋&lt;/a&gt;」、南遷後の晋を「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%99%8B&#34;&gt;東晋&lt;/a&gt;」と呼んで区別するのが習わしである。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;この書にも倭のことが書かれているが、明らかに『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E6%BC%A2%E6%9B%B8&#34;&gt;後漢書&lt;/a&gt;』の引き写しである。従って全文を紹介する意味はあまりないのであるが、いくつか指摘すべき点があるので、念のために触れておく。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
    <item>
      <title>日本の古代史を考える—④魏志倭人伝諸問題</title>
      <link>/posts/2013-06-04-gisho/</link>
      <pubDate>Tue, 04 Jun 2013 00:47:33 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2013-06-04-gisho/</guid>
      <description>&lt;p&gt;『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F%E5%BF%97%E5%80%AD%E4%BA%BA%E4%BC%9D&#34;&gt;魏志倭人伝&lt;/a&gt;』に登場する「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD&#34;&gt;倭&lt;/a&gt;」國が日本のことであるのは周知であるが、古来その仮定を前提にすると、種々の問題が生じることが明らかになっている。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;span style=&#34;font-size:x-large;color:#660000&#34;&gt;&lt;strong&gt;Ⅰ. 「狗邪韓國」はどこか?&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%AF%E6%96%B9%E9%83%A1&#34;&gt;帯方郡&lt;/a&gt;から狗邪韓國まで海を渡っていないことは、その直後に「始度一海」とあるので明らかである。故に狗邪韓國は朝鮮半島にあると推定するのが本来であるが、距離が七千余里あるのが問題だ。知られている限りでは「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F&#34;&gt;魏&lt;/a&gt;」の頃の里は、433.8 m なので、七千里というと、3,000 ㎞ を越える大距離になる。直線距離ならカムチャッカ半島の先っちょか、ベトナムかというくらいの距離だ。近畿か九州か以前に、日本を素通りしてしまう。日本の大名行列を参考に、一日当たり 35 ㎞ 進んだとしても、87 日かかる。かかりすぎだ。つまり、従来説は初っぱなから破綻しているのである。無論、私にもわからない。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
    <item>
      <title>日本の古代史を考える—③魏志倭人伝</title>
      <link>/posts/2013-06-02-gisho/</link>
      <pubDate>Sun, 02 Jun 2013 17:55:23 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2013-06-02-gisho/</guid>
      <description>&lt;p&gt;&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%91%E5%BC%A5%E5%91%BC&#34;&gt;卑弥呼&lt;/a&gt;で有名な&lt;a href=&#34;https://notraitors.com/2013/06/02/%e6%97%a5%e6%9c%ac%e5%8f%a4%e4%bb%a3%e5%8f%b23/%3Ca%20href=&#34;&gt;邪馬台国&lt;/a&gt;が記載されていることで有名な&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F%E5%BF%97%E5%80%AD%E4%BA%BA%E4%BC%9D&#34;&gt;魏志倭人伝&lt;/a&gt;。魏志とは、&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%99%8B&#34;&gt;西晋&lt;/a&gt;の&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B3%E5%AF%BF&#34;&gt;陳寿&lt;/a&gt;が編纂した『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%BF%97_%28%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E6%9B%B8%29&#34;&gt;三国志&lt;/a&gt;』のうち、&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F_%28%E4%B8%89%E5%9B%BD%29&#34;&gt;魏&lt;/a&gt;の正史である『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F%E6%9B%B8&#34;&gt;魏書&lt;/a&gt;』のことを云う。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F_%28%E4%B8%89%E5%9B%BD%29&#34;&gt;魏&lt;/a&gt;は、西暦 220 年から 265 年に中国に存在した国である。この国とその祖&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%B9%E6%93%8D&#34;&gt;曹操&lt;/a&gt;については、&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%BF%97%E6%BC%94%E7%BE%A9&#34;&gt;三国志演義&lt;/a&gt;で日本人にもおなじみであろう。なお、日本では&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3&#34;&gt;弥生時代&lt;/a&gt;後期にあたる。&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3&#34;&gt;弥生時代&lt;/a&gt;を代表する遺跡といえば、昔々は&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BB%E5%91%82%E9%81%BA%E8%B7%A1&#34;&gt;登呂遺跡&lt;/a&gt;だったりしたのであるが、現在では何と言っても&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E9%87%8E%E3%83%B6%E9%87%8C%E9%81%BA%E8%B7%A1&#34;&gt;吉野ヶ里遺跡&lt;/a&gt;であろう。筆者も現地へ行ったことがあるが、見ると読むでは大違い。&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E9%87%8E%E3%83%B6%E9%87%8C%E9%81%BA%E8%B7%A1&#34;&gt;吉野ヶ里遺跡&lt;/a&gt;は、非常に大規模な遺構であり、現地に立つと圧倒されるものがある。さてもこのような基地を設けねばならなかった時代背景とは非常に物騒なものであったと実感した次第である。このような基地を必要とした時代とはどんな時代だったのであろうか。それを読み解く鍵のひとつが&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F%E5%BF%97%E5%80%AD%E4%BA%BA%E4%BC%9D&#34;&gt;魏志倭人伝&lt;/a&gt;である。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
    <item>
      <title>日本の古代史を考える—②後漢書東夷伝</title>
      <link>/posts/2013-06-01-gokanjo/</link>
      <pubDate>Sat, 01 Jun 2013 17:37:54 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2013-06-01-gokanjo/</guid>
      <description>&lt;p&gt;『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E6%BC%A2%E6%9B%B8&#34;&gt;後漢書&lt;/a&gt;』が『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%BF%97_%28%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E6%9B%B8%29&#34;&gt;三国志&lt;/a&gt;』より後の時代に書かれたことはよく知られていることである。従って『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD&#34;&gt;倭&lt;/a&gt;』の情報も『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%BF%97_%28%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E6%9B%B8%29&#34;&gt;三国志&lt;/a&gt;』の方が的確、豊富であるとするのが常識になっている。事実、『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E6%BC%A2%E6%9B%B8&#34;&gt;後漢書&lt;/a&gt;』東夷列伝の倭人条は、ほとんどが『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F%E5%BF%97%E5%80%AD%E4%BA%BA%E4%BC%9D&#34;&gt;魏志倭人伝&lt;/a&gt;』の引き写し（しかも誤って写し取ったと見られる個所まである）の上に、字数も遙かに少ない（尤もこれは、『魏志倭人伝』の分量が名だたる正史の中でも際だって多いのためであるが）。しかし、にも関わらず、日本史にとって重要な一文があるため、無視はできないのである。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
    <item>
      <title>日本の古代史を考える—①漢書地理志</title>
      <link>/posts/2013-05-30-kanjo/</link>
      <pubDate>Thu, 30 May 2013 17:09:24 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2013-05-30-kanjo/</guid>
      <description>&lt;p&gt;日本は『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BA%8B%E8%A8%98&#34;&gt;古事記&lt;/a&gt;』『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80&#34;&gt;日本書紀&lt;/a&gt;』以前に歴史書があったことは明らかにされているが、その内容については、『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BA%8B%E8%A8%98&#34;&gt;古事記&lt;/a&gt;』『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80&#34;&gt;日本書紀&lt;/a&gt;』に盛り込まれたもの（どれがそうであるかは不明である）のほかに現代に伝わっているものはごくわずかでしかない。そこで古来より中国の歴史書を引くことが当然とされてきた。しかしその内容については充分に吟味され、教育されているとは言い難い。日本が始めて登場する中国の歴史書は『&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E6%9B%B8&#34;&gt;漢書&lt;/a&gt;』であるが、高校の授業でも、百あまりの国に別れていたという程度のことしか教えられない。しかしこの条の本質はそんなところにはない。その前こそが重要なのである。以下に地理志燕地倭人条を示す。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
    <item>
      <title>邪馬壹国・九州王朝・関東王朝</title>
      <link>/posts/2013-05-27-yamayekoku/</link>
      <pubDate>Mon, 27 May 2013 16:49:50 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2013-05-27-yamayekoku/</guid>
      <description>&lt;p&gt;「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%AA%E9%A6%AC%E5%8F%B0%E5%9B%BD&#34;&gt;邪馬台国&lt;/a&gt;」論争は昔から有名で、九州にあったか近畿にあったか、はたまた海外だったか様々な仮説が出ては消え出ては消えして今に至っている。「婚姻の歴史を考える」を書いた際、&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%8F%E5%BF%97%E5%80%AD%E4%BA%BA%E4%BC%9D&#34;&gt;魏志倭人伝&lt;/a&gt;についても簡単に調べたのだが、&lt;a href=&#34;https://www.furutasigaku.jp/jfuruta/jfuruta.html&#34;&gt;古田武彦&lt;/a&gt;氏の論によって、積年の疑問が解決したのでここにまとめておきたい。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
    <item>
      <title>婚姻制度の歴史を考える—⑥母系制</title>
      <link>/posts/2013-05-22-marital-history-6/</link>
      <pubDate>Wed, 22 May 2013 14:51:17 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2013-05-22-marital-history-6/</guid>
      <description>&lt;p&gt;ヒトがいつから存在するかは未だ確定していないが、そもそもヒトの社会は母系制であったと考えられる。ヒトの妊娠、出産、育児は、他の動物と比較して異常なくらいコストがかかることは改めて述べるまでもない。であれば、それを担うメスを中心としてこれを保護する形で集団が営まれるのは自然なことであり、むしろ生殖負担が全く異なるチンパンジーやゴリラなどを例として父系制を唱えるのは滑稽なことだと言える。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
    <item>
      <title>婚姻制度の歴史を考える—⑤妻問婚補記</title>
      <link>/posts/2013-05-22-marital-history-5/</link>
      <pubDate>Wed, 22 May 2013 14:45:31 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2013-05-22-marital-history-5/</guid>
      <description>&lt;p&gt;&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3&#34;&gt;弥生時代&lt;/a&gt;の定義は学会でも揺れているようだが、米の栽培／収穫が主要な食糧獲得手段になり、土地の奪い合いによる集団間の紛争が発生していた時期をそう呼ぶことに差し支えはなさそうである。つまり遅くとも、農耕が定着して武力闘争が開始された時期には弥生時代が始まっていたものと見なす。そして、紛争の片が概ねついて各地に「&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%82%B3&#34;&gt;彦&lt;/a&gt;」を称する大首長が現れ、&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%A2%B3&#34;&gt;古墳&lt;/a&gt;を築造し始める&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E6%99%82%E4%BB%A3&#34;&gt;古墳時代&lt;/a&gt;の前までを&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3&#34;&gt;弥生時代&lt;/a&gt;とする。以下本稿でいう&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3&#34;&gt;弥生時代&lt;/a&gt;はその意味である。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
    <item>
      <title>婚姻制度の歴史を考える—④妻問婚</title>
      <link>/posts/2013-05-22-marital-history-4/</link>
      <pubDate>Wed, 22 May 2013 14:38:48 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2013-05-22-marital-history-4/</guid>
      <description>&lt;p&gt;日本の古代—主に古墳時代から奈良時代にかけて—に婚姻様式として妻問婚が広く行われていたのは、周知の事実である。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;では、妻問婚はいつ頃始まり、いつ群婚に取って代わったのであろうか。
筆者は、少なくとも縄文中期には妻問婚が始まっていたと考える。理由は以下の通りである。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;①既に大規模集落が営まれており、集団が大規模化していたこと。&lt;br /&gt;
②勾玉の交易から明らかなように他集団との交流が活発であったこと。&lt;br /&gt;
③（同一血族を示すと思われる）抜歯の風習が始まったこと&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
    <item>
      <title>婚姻制度の歴史を考える—②私有婚と私有制度・身分制度</title>
      <link>/posts/2013-05-21-marital-history-2/</link>
      <pubDate>Tue, 21 May 2013 04:31:39 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2013-05-21-marital-history-2/</guid>
      <description>&lt;p&gt;ヒトの始原が族長婚（集中婚）であることは前に述べた。では、現在に続く一夫一婦制度とそれに基づく私有制度はどのようにして生まれたのだろうか。言うまでもないが、私有制度は、私有という観念が確立していないと生まれ得ない制度である。その私有観念を生み出したものを、それが基づく制度である一夫一婦制に求めるのは当然の論理であろう。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;元々厳しい生存環境に置かれていたヒトは、気候変動の影響で乾燥化が広域で進んだりするとたちまち食糧難に陥る。事実、人類がそのほとんどの期間生き延びざるを得なかった更新世の氷河期は、600万年前に始まり、1万年前に終わっている。その間、氷期と間氷期が繰り返され、気候が変動し続けたのである。食糧難に陥った集団が選択できる行動は二つだけである。即ち、自滅するか他所から掠奪するかである。おそらく人口が少なく集団がまばらに存在していた人類の黎明期では掠奪しようにも近くに手頃な集団が存在する可能性は極めて低く、滅亡していった集団が数知れず存在したであろう。しかし、時代を経てヒトが世界中に広がり、居住可能域における人口密度が増大＝集団数が増加するにつれ、掠奪という選択肢が現実のものとなっていく。こうして互いに掠奪しあう集団群ができ上がっていったと考えられる。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
    <item>
      <title>婚姻制度の歴史を考える – ①婚姻の始まり</title>
      <link>/posts/2013-05-21-marital-history-1/</link>
      <pubDate>Tue, 21 May 2013 04:24:33 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2013-05-21-marital-history-1/</guid>
      <description>&lt;p&gt;人類の始原における婚姻制が何であったかは歴史の遙か彼方のことでもあり、今でも判然としない。しかし血縁による集団を構築していたことはどうやら間違いのないことらしいので、これを出発点として、原始の婚姻制を考えてみたい。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;当たり前のことだが、始原において、婚姻とは性交であった。これが何らの制約がない状態に集団が置かれると、乱婚に陥ることは現代日本を見ても明らかである。結婚するまでは処女でなくてはならず、結婚したら女の浮気は絶対にダメであり、すれば罪に問われる。のが、一夫一婦制度というものである。婚前交渉が花盛りで、不倫乱交が大手を振ってまかり通っている日本の現状を指すものではないことは明々白々としか言いようがない。それはともかく、人類の始原ではどうだったのか。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
    <item>
      <title>日本が今後採るべき電力供給戦略について</title>
      <link>/posts/2011-03-11-electricity-policy/</link>
      <pubDate>Fri, 11 Mar 2011 00:45:39 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2011-03-11-electricity-policy/</guid>
      <description>&lt;p&gt;まず、今回の東日本太平洋沖地震とそれに伴う津波によってお亡くなりになった方のご冥福を祈るとともに、被災された方が一日でも早く元の落ち着いた生活を取り戻せるよう願いたいと思います。また、福島第一原子力発電所の事故が一刻も早く解決し、住民の方々が安心して暮らせる環境を取り戻せることを切に願います。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80%E4%BA%8B%E6%95%85&#34;&gt;今回の事故&lt;/a&gt;を受け、また原発反対派と推進派の議論がかしがましいようです。事故が起きたこともさることながら、さすがに今回の&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%9B%BB%E5%8A%9B&#34;&gt;東京電力&lt;/a&gt;、 &lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E5%AE%89%E5%85%A8%E3%83%BB%E4%BF%9D%E5%AE%89%E9%99%A2&#34;&gt;原子力安全・保安院&lt;/a&gt;が見せた情報の齟齬、隠蔽、判断ミス、現場丸投げといった失態を受けて、なお&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E5%AD%90%E5%8A%9B%E7%99%BA%E9%9B%BB%E6%89%80&#34;&gt;原子力発電所&lt;/a&gt;の建設を受け入れようという地方は今後出てこないでしょう。本来なら政府の失態も大々的に指弾すべきですが、この稿の目的ではありませんので、今回は割愛します。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
    <item>
      <title>専業主婦を否定しても子育ての問題は解決しない</title>
      <link>/posts/2010-12-30-child-rearing-problem/</link>
      <pubDate>Thu, 30 Dec 2010 00:30:02 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2010-12-30-child-rearing-problem/</guid>
      <description>&lt;p&gt;産経新聞が『仙谷氏「&lt;a href=&#34;https://sankei.jp.msn.com/politics/policy/101227/plc1012271319010-n1.htm&#34;&gt;専業主婦は病気」と問題発言か　本人は「記憶にない」と釈明&lt;/a&gt;』という見出しの記事を掲載し、それを池田信夫さんが『&lt;a href=&#34;https://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51623662.html&#34;&gt;保守の劣化&lt;/a&gt;』というブログ記事で批判しておられます。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;漢字の読み間違いを国会で質問するような馬鹿なまねよりはまっとうな指摘だと思いますが、それはさておき。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
    <item>
      <title>「人口減少に対応した経済社会のあり方」に見る経団連の独善性</title>
      <link>/posts/2010-12-27-jfoeo/</link>
      <pubDate>Mon, 27 Dec 2010 19:23:17 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2010-12-27-jfoeo/</guid>
      <description>&lt;p&gt;巷間、経団連が移民受け入れ1000万人を主張していることは賛否両論流布しているが、今一度原点に立ち返ってその主張が盛り込まれている「&lt;a href=&#34;https://www.keidanren.or.jp/japanese/policy/2008/073.pdf&#34;&gt;人口減少に対応した経済社会のあり方&lt;/a&gt;」に議論を加えてみようと思う。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;冒頭「２．わが国人口の展望」で、2055年までに総人口が8000万人台になり、そのうち高齢者が半分近くを占める事態になるという。一方で、わが国は専門技術者などの高度人材の受け入れが18万人にとどまっていると述べる。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
    <item>
      <title>企業の内部留保はどこから来たのか</title>
      <link>/posts/2010-12-26-internalreserve/</link>
      <pubDate>Sun, 26 Dec 2010 19:13:56 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2010-12-26-internalreserve/</guid>
      <description>&lt;p&gt;いささか旧聞に属するが、&lt;a href=&#34;https://rionaoki.net/&#34;&gt;経済101&lt;/a&gt; の「&lt;a href=&#34;https://rionaoki.net/2010/10/4732&#34;&gt;内部留保再び&lt;/a&gt;」について素朴な疑問があるので。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;財務省の統計によると、国内企業の&lt;a href=&#34;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E9%83%A8%E7%95%99%E4%BF%9D&#34;&gt;内部留保&lt;/a&gt;が400兆円を越えたそうだ。資本金10億円以上の大企業に限っても200兆円あるという。例によってそれを取り崩して雇用に回せ云々という議員がいたようだが、それは置いておく。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
    <item>
      <title>金のためなら国を売る企業人</title>
      <link>/posts/2010-12-25-unscrupulousbusinessmen/</link>
      <pubDate>Sat, 25 Dec 2010 19:02:38 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2010-12-25-unscrupulousbusinessmen/</guid>
      <description>&lt;p&gt;&lt;a href=&#34;https://agora-web.jp/&#34;&gt;アゴラ&lt;/a&gt;に「&lt;a href=&#34;https://agora-web.jp/archives/1154903.html&#34;&gt;なぜ領土紛争は国民を熱くするか&lt;/a&gt;」「&lt;a href=&#34;https://agora-web.jp/archives/1135712.html&#34;&gt;もともと我々の領土という愚&lt;/a&gt;」という記事が掲載されています。執筆者は石水智尚さんと仰る中国でビジネスを展開している企業の経営者です。それぞれの記事について詳しい内容は実際に読んで頂くとして、ここではこの記事の問題点を取り上げたいと思います。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;氏は「&lt;a href=&#34;https://agora-web.jp/archives/1135712.html&#34;&gt;もともと我々の領土という愚&lt;/a&gt;」で「北方領土も尖閣諸島も経済的メリットを優先して国民を説得しろ」と主張しています。端的に言うと「争っても金にならないのだからくれてやれ」ということです。ただし最後に尖閣諸島を最初に発見したのは中国だと付け足すことを忘れていません。暗に「もともとは中国の領土」だと言ってるわけです。だからタイトルも「&lt;a href=&#34;https://agora-web.jp/archives/1135712.html&#34;&gt;もともと我々の領土という愚&lt;/a&gt;」なわけですね。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
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      <title>尖閣諸島問題とは何なのか</title>
      <link>/posts/2010-12-19-senkaku-islands/</link>
      <pubDate>Sun, 19 Dec 2010 18:55:24 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2010-12-19-senkaku-islands/</guid>
      <description>&lt;p&gt;尖閣諸島は1885年から1895年まで日本政府が領有状況を調査した後、いずれの国にも属していないことを確かめた上で領有を閣議決定しています。実際に日本人が居住していた時期もあり、1940年から無人島となりましたが、日本が実効支配を行ってきました。終戦直後の1945年に台湾は中華民国台湾省となっていますが、尖閣諸島は台湾に含まれていませんでした。つまり、元々日本以外の国は領有権を主張していなかったのです。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;しかし、1968年、東シナ海の大陸棚の海洋調査で豊富な石油が埋蔵されている可能性が指摘されるやいなや状況は一変しました。1971年6月に台湾、同年12月に中国が相次いで領有権を主張し始め、以降、陰に陽にその主張を繰り返し、時には実力行使までしています。国際裁判所での判例上では、こういう後出しの主張は、「禁反言」に触れる可能性が高いという指摘があるにも関わらずです。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
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      <title>反論『「就職する」ということがどういうことか知ってほしい 』</title>
      <link>/posts/2010-12-14-jobmanagement/</link>
      <pubDate>Tue, 14 Dec 2010 16:31:54 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2010-12-14-jobmanagement/</guid>
      <description>&lt;p&gt;&lt;a href=&#34;https://agora-web.jp/&#34;&gt;アゴラ&lt;/a&gt;に掲載された『&lt;a href=&#34;https://agora-web.jp/archives/1145940.html&#34;&gt;「就職する」ということがどういうことか知ってほしい&lt;/a&gt; 』という記事に対する簡単な反論。&lt;/p&gt;
&lt;blockquote&gt;
&lt;p&gt;BLOGSに掲載された橘玲氏の「&lt;a href=&#34;https://news.livedoor.com/article/detail/5198672/&#34;&gt;牛丼と革命―未来世界のマックジョブ&lt;/a&gt;」を読んで、企業が正直に自分たちが欲しい人材を追求したときにこのような形に行き着くのだろうなと思った。&lt;/p&gt;
&lt;/blockquote&gt;
&lt;p&gt;社畜云々の議論はここでは置いておく。リンク先を読めばおわかり頂けるだろうが、すき屋のゼンショーグループが徹底したマニュアル化と社員管理で生産性を上げているという話だ。その中でもここに注目して欲しい。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
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      <title>反論【佐藤優の眼光紙背】尖閣ビデオ流出は官僚によるクーデターだ</title>
      <link>/posts/2010-12-02-senkaku-video/</link>
      <pubDate>Thu, 02 Dec 2010 21:23:31 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2010-12-02-senkaku-video/</guid>
      <description>&lt;p&gt;少し前ツイッターでもつぶやいたのだが、論点を整理してまとめてみた。
これは、佐藤優氏の【佐藤優の眼光紙背】尖閣ビデオ流出は官僚によるクーデターだ に対する反論である。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;規律の遵守など遵法意識を強調するなら、末端以上に上層部にこそそれが求められます。&lt;span style=&#34;color:red;&#34;&gt;内閣が責任を放棄したから&lt;/span&gt;、この事件が起きたのであって、このような異常事態に陥ることのなかった戦後から現在までそんな事例はスパイ事件を除いて大きく問題になったことはなかったではありませんか。国民からすれば、内閣の打った手は裏切りであり、責任を那覇地検に押し付けたのは責任回避、職務怠慢以外の何者でもありません。公務員法第82条第2項では「職務上位の義務に違反し、または怠った者」「国民全体の奉仕者たるにふさわしくない非行のあつた場合」に対して懲戒処分を下すことになっています。内閣閣僚は特別職ですからこの規定が適用されることはありませんが、当然上が行き当たりばったりの遣りたい放題なら、下もそれに倣います。内閣閣僚や国会議員が免除されているのは、明治の頃からの慣例か、妙な制約を課すことで充分な議論が重ねられないまま重要な法案が採決されてしまうのを防ぐためか、いずれにせよ、政治家、内閣の自浄能力を前提とした信頼がそこにあるはずです。
しかし、以後の経緯を見てもことごとく政治判断を避け、現場に丸投げ状態が続くのを見て、国民が何を思うかおわかりでしょうか。&lt;/p&gt;</description>
    </item>
    
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      <title>日本に右翼などいない</title>
      <link>/posts/2010-11-29-no-right-wing-in-japan/</link>
      <pubDate>Mon, 29 Nov 2010 20:44:33 +0900</pubDate>
      
      <guid>/posts/2010-11-29-no-right-wing-in-japan/</guid>
      <description>&lt;p&gt;日本には、右翼勢力などいない。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;菅内閣が媚中、媚韓外交を繰り広げ、在日韓国人に参政権を与えることを韓国に約束するという暴挙に出ても、そよとも声が上がらない。&lt;/p&gt;
&lt;p&gt;そもそも、参政権が国民固有の権利であることは論を俟つまでもなく、国民とは日本国籍を有している者に他ならない。特別永住者として日本に居住している、いわゆる在日韓国人は、帰化して日本国籍を取得するでもなく、さりとて帰国を希望するわけでもない。生活水準が高く、何かと配慮に恵まれる日本の生活を捨てるなど論外、しかし、帰化してしまうとただの日本人になってしまうので、何とか日本人より優越を保ち、特権を得ようとするためにそのような地位に自ら留まっているのである。つまり、自らの意思で日本の国民にならないでいるのに、権利だけ欲しがっているのである。そんなものにほいほい自国の主権を明け渡すような阿呆なマネはどこの国も行わない。が、その非常識を韓国人は要求しているのである。&lt;/p&gt;</description>
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