売国奴お断り - No Traitors Allowed

日本のことについてとりとめのないことを綴っていくブログです。日本が嫌いな人は見てはいけません

日本の古代史を考える—⑪隋書東夷傳俀国条

やっとたどり着いた感があります。『隋書』東夷傳俀国条です。『隋書』は、「」の太宗の勅により魏徴長孫無忌らが撰進しました。書かれているのは「」の時代です。西暦581年から西暦618年に当たります。かの有名な「日出ずる処の天子」という表現はおなじみではないでしょうか。『隋書』からは、七世紀初頭の日本がどのような様子であったのかが覗えます。

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日本の古代史を考える—⑩三国史記(新羅本紀)

次に『三国史記』の「新羅本紀」を見てみます。え? 高句麗は? というと、「高句麗本紀」には「倭」のことが一言も出てきません。「好太王碑」が現にあり、倭と戦ったことを記しているのですから、現れないということ自体が不自然かつ胡散臭さ満点です。という目で「新羅本紀」を見てみると、卑弥呼が二世紀に新羅に遣使したとか書いてあって、中国の史書と比較検証できない三世紀以前の記事は、まず信用できないと言ってよいでしょう(卑弥呼が生きたのは三世紀。物理的にありえません)。ということで、三世紀以降の記録から倭に関する部分を抜き出してみます。

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日本の古代史を考える—⑨三国史記(百済本紀)

ここで朝鮮に目を転じます。三世紀〜七世紀にかけて、朝鮮半島では「高句麗」「百済」「新羅」が鼎立し、覇を争っていました。最終的に「白村江の戦い」で倭・百済(この時既に百済は滅亡していたので正確には百済遺民)連合軍に、新羅連合軍が大打撃を与え、倭はこの敗北から立ち直れないまま、新羅が朝鮮を統一します。この三国の歴史を著したのが『三国史記』です。高麗十七代仁宗の命を受けて金富軾らが編纂しました。この書は高麗新羅の後継を自任していた上に、編纂者が新羅王室の血を引いていたため、新羅偏重かつ新羅寄りの既述が目立ちます。そのため、その内容を充分に批判することなしに引用することは不用意の誹りを免れ得ません。とはいえ、倭と新羅の激闘の歴史は見て取れますので、倭に関する部分を抜粋して、その様子をうかがうことにしましょう。

なお、「ひのもとの史記」さんの「三国史記の倭関連記事」が一覧表になっていてとても見やすいので、概略を掴むのにはもってこいです。是非ご覧になって下さい。トップページから「ひのもとの史記・参」をクリックして、左サイドバー内「CONTENTS」の「三.三国史記」をクリックすれば見ることができます。

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日本の古代史を考える—⑦広開土王碑

2013-06-05 歴史 日本史

時代は前後しますが、「⑥宋書夷蠻伝倭國条」でも触れた「好太王碑」、正式には「広開土王碑」に「倭」と「高句麗」の戦争の様子が書かれているので、関連部分を抜き出して、見てみたいと思います。

百残新羅舊是屬民由來朝貢而倭以辛卯年來渡海破百残■■■羅以爲臣民

百済新羅はもともと高句麗の属国であり、昔から朝貢してきていた。ところが、倭は辛卯の年に海を渡って来襲し、百済、■■■羅(新羅?)を破り、自分たちの属国にしてしまった。

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日本の古代史を考える—⑥宋書夷蠻伝倭國条

晋書』は、三国鼎立時代を終わらせた「」の正史で、西暦265年から420年までの出来事が収められている。ただし、倭人条は、泰始元年(西暦265年)の記事で終わっており、次に倭の名前が見えるのは安帝の義煕九年(西暦413年)であるため、四世紀の日本については何も情報がない。本稿で取り上げる『宋書』は、南北朝時代の「」(平清盛日宋貿易を行った「」とは時代が異なる国)の正史で、南斉武帝の命令で、沈約によって編まれた。西暦420年から479年までの出来事が記されている。かの有名な「倭の五王」が登場するのであるが、当然記録が五世紀に入ってからなので、四世紀がまるまる空白として残る結果となった。いわゆる「空白の四世紀」である。

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日本の古代史を考える—⑤晋書四夷伝倭人条

晋書』は『三国志』に続く正史であるが、書かれたのは「」になってからである。「」は司馬懿の一族が曹操の「」を簒奪して誕生した王朝で、西暦245年から420年まで続いた。三国に分裂していた中国を統一したのが「」である。しかしその統一は束の間で、西暦317年に匈奴前趙)の侵略を受け、南遷を余儀なくされた。それまでの晋を「西晋」、南遷後の晋を「東晋」と呼んで区別するのが習わしである。

この書にも倭のことが書かれているが、明らかに『後漢書』の引き写しである。従って全文を紹介する意味はあまりないのであるが、いくつか指摘すべき点があるので、念のために触れておく。

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日本の古代史を考える—④魏志倭人伝諸問題

魏志倭人伝』に登場する「」國が日本のことであるのは周知であるが、古来その仮定を前提にすると、種々の問題が生じることが明らかになっている。

Ⅰ. 「狗邪韓國」はどこか?

帯方郡から狗邪韓國まで海を渡っていないことは、その直後に「始度一海」とあるので明らかである。故に狗邪韓國は朝鮮半島にあると推定するのが本来であるが、距離が七千余里あるのが問題だ。知られている限りでは「」の頃の里は、433.8 m なので、七千里というと、3,000 ㎞ を越える大距離になる。直線距離ならカムチャッカ半島の先っちょか、ベトナムかというくらいの距離だ。近畿か九州か以前に、日本を素通りしてしまう。日本の大名行列を参考に、一日当たり 35 ㎞ 進んだとしても、87 日かかる。かかりすぎだ。つまり、従来説は初っぱなから破綻しているのである。無論、私にもわからない。

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