故爾伊邪那岐命詔之愛我那邇妹命乎那邇二字以音下效此謂易子之一木乎乃匍匐御枕方匍匐御足方而哭時於御淚所成神坐香山之畝尾木本名泣澤女神故其所神避之伊邪那美神者葬出雲國與伯伎國堺比婆之山也
故爾に伊邪那岐命詔たまはく、愛しき我が那邇妹命那邇の二字は音を用ゐる。下も此に效ふ乎、子の一木に易えつる乎と謂たまひて、御枕方に匍匐い、御足方に匍匐いて哭きたまふ時に、御淚に成りませる神は、香山の畝尾木本に坐す、名は泣澤女神。故、其の神避ましし伊邪那美神は、出雲國と伯伎國の堺、比婆之山に葬しまつりき也。
そこで伊邪那岐命は「愛しい私の妻を、こんな子一人のために失ってしまった」と仰って、枕辺に腹這いになり、また足元に腹這いになってはお泣きあそばされた。その涙から生まれた神は泣澤女神と言い、天の香具山の畝尾の木の根元におわします。亡くなられた伊邪那美の神は、出雲と伯耆の境の比婆山に葬られました。
於是伊邪那岐命拔所御佩之十拳劒斬其子迦具土神之頸爾著其御刀前之血走就湯津石村所成神名石拆神次根拆神次石筒之男神三神次著御刀本血亦走就湯津石村所成神名甕速日神次樋速日神次建御雷之男神亦名建布都神布都二字以音下效此亦名豐布都神三神次集御刀之手上血自手俣漏出所成神名訓漏云久伎闇淤加美神淤以下三字以音下效此次闇御津羽神上件自石拆神以下闇御津羽神以前幷八神者因御刀所生之神者也
是に伊邪那岐命、御佩せる十拳劒を拔きて、其の子、迦具土神の頸を斬りたまふ[一]。爾に其の御刀の前に著ける血、湯津石村に走り就きて成りませる神の名は、石拆神。次に根拆神。次に石筒之男神三神。次に御刀の本に著ける血も亦、湯津石村に走り就きて、成りませる神の名は、甕速日神。次に樋速日神。次に建御雷之男神。亦の名は建布都神布都の二字は音を用ゐる。下も此に效ふ。亦の名は豐布都神三神。次に御刀の手上に集まる血、手俣自り漏出て成りませる神の名は、漏を訓みて久伎と云ふ。闇淤加美神。淤以下の三字は音を用ゐる。下も此に效ふ。次に闇御津羽神。上の件、石拆神自り以下、闇御津羽神以前、幷せて八神は、御刀に因りて生りませる神也[二]。
ついに伊邪那岐命は、帯びていた十拳の剣を抜いて、ご自分の御子である迦具土神の首をお切りになられました。その太刀の先からほとばしった血がたくさんの岩に着いて、石拆神、次に根拆神、次に石筒之男神がお生まれになられました三柱。また、太刀の本からほとばしった血がたくさんの岩に着いて、甕速日神、次に樋速日神、次に建御雷之男神(別名は建布都神、もう一つの別名は豊布都神)がお生まれになられました三柱。さらに太刀を握る手に集まった血が指の間から漏れこぼれて、闇淤加美神と闇御津羽神がお生まれになられました。ここで石拆神から闇御津羽神まで、合計八柱の神は、伊邪那岐命の太刀からお生まれになられた神様です。
所殺迦具土神之於頭所成神名正鹿山上津見神次於胸所成神名淤縢山津見神淤縢二字以音次於腹所成神名奧山上津見神次於陰所成神名闇山津見神次於左手所成神名志藝山津見神志藝二字以音次於右手所成神名羽山津見神次於左足所成神名原山津見神次於右足所成神名戸山津見神自正鹿山津見神至戸山津見神幷八神故所斬之刀名謂天之尾羽張亦名謂伊都之尾羽張伊都二字以音
殺さえ所し迦具土神の頭に成りませる神の名は、正鹿山上津見神。次に胸に成りませる神の名は、淤縢山津見神淤縢の二字は音を用ゐる。次に腹に成りませる神の名は、奧山上津見神。次に陰に成りませる神の名は、闇山津見神。次に左の手に成りませる神の名は、志藝山津見神志藝の二字は音を用ゐる。次に右の手に成りませる神の名は、羽山津見神。次に左の足に成りませる神の名は、原山津見神。次に右の足に成りませる神の名は、戸山津見神。正鹿山津見神自り戸山津見神に至るまで、幷せて八神。故、斬りたまへる刀の名は、天之尾羽張と謂ふ。亦の名は伊都之尾羽張と謂ふ伊都の二字は音を用ゐる。
殺されてしまわれた迦具土神の頭から正鹿山津見神と仰る神様がお生まれになり、胸からは淤縢山津見神と仰る神様がお生まれになられました。腹からは奧山津見神と仰る神様がお生まれになり、陰部からは闇山津見神と仰る神様がお生まれになられました。次に左手から志藝山津見神と仰る神様がお生まれになり、右手からは羽山津見神と仰る神様がお生まれになられました。左足からは原山津見神と仰る神様がお生まれになり、右足から戸山津見神と仰る神様がお生まれになられました。正鹿山津見神から戸山津見神まで、合計八神です。迦具土神を斬った刀は、天之尾羽張、またの名を伊都之尾羽張といいます。
於是欲相見其妹伊邪那美命追往黃泉國爾自殿騰戸出向之時伊邪那岐命語詔之愛我那邇妹命吾與汝所作之國未作竟故可還爾伊邪那美命答白悔哉不速來吾者爲黃泉戸喫然愛我那勢命那勢二字以音下效此入來坐之事恐故欲還且具與黃泉神相論莫視我如此白而還入其殿內之間甚久難待故刺左之御美豆良三字以音下效此湯津津間櫛之男柱一箇取闕而燭一火入見之時宇士多加禮許呂呂岐弖此十字以音於頭者大雷居於胸者火雷居於腹者黑雷居於陰者拆雷居於左手者若雷居於右手者土雷居於左足者鳴雷居於右足者伏雷居幷八雷神成居於是伊邪那岐命見畏而逃還之時其妹伊邪那美命言令見辱吾卽遣豫母都志許賣此六字以音令追爾伊邪那岐命取黑御鬘投棄乃生蒲子是摭食之間逃行猶追亦刺其右御美豆良之湯津津間櫛引闕而投棄乃生笋是拔食之間逃行且後者於其八雷神副千五百之黃泉軍令追爾拔所御佩之十拳劒而於後手布伎都都此四字以音逃來猶追到黃泉比良此二字以音坂之坂本時取在其坂本桃子三箇待擊者悉逃迯也爾伊邪那岐命告其桃子汝如助吾於葦原中國所有宇都志伎此四字以音青人草之落苦瀬而患惚時可助告賜名號意富加牟豆美命自意至美以音
是に其の妹の伊邪那美命を相見まく欲して、黃泉國に追ひ往でましき[三]。爾ち殿騰戸自り出向ます時に、伊邪那岐命語らひたまはく、愛しき我が那邇妹命、吾汝と與に作りし國、未だ作り竟へずあれば、還りまさねと詔たまひき。爾に伊邪那美命答白したまはく、悔しき哉と來き速ずて。吾は黃泉戸喫[四]爲つ。然ども愛しき我が那勢の命那勢の二字は音を用ゐる。下も此に效ふ、入り來ませること恐こければ、還りけんを、且ず具に黃泉神と相論はん。我をな視たまひそ。如此白して、其の殿內之間に還り入りませるほど、甚久しくて待ち難たまひき。故、左の御美豆良三字は音を用ゐる。下も此に效ふに刺させる、湯津津間櫛の男柱一箇取り闕きて、一火を燭して入り見ます時に、宇士多加禮許呂呂岐弖此の十字は音を用ゐる[五]、頭には大雷居り、胸には火雷居り、腹には黑雷居り、陰には拆雷居り、左の手には若雷居り、右の手には土雷居り、左の足には鳴雷居り、右の足には伏雷居り、幷せて八の雷神成り居りき[六]。是に伊邪那岐命、見み畏みて逃け還へります時に、其の妹の伊邪那美命、吾に辱見せたまひつと言したまひて、卽て豫母都志許賣此この六字は音を用ゐるを遣はして、追はしめき。爾伊邪那岐命、黑御鬘を取りて投げ棄ちたまひしかば、乃ち蒲子の生なりき。是を摭ひ食む間に、逃げ行でますを、猶追ひしかば、亦其の右の御美豆良に刺させる湯津津間櫛を引き闕きて投げ棄ちたまへば、乃ち生笋なりき。是を拔き食はむ間に、逃げ行いでましき。且後には、其の八の雷神に、千五百の黃泉軍を副へて追はしめき。爾御も佩せる十拳劒を拔きて、後手に布伎都都此この四字は音を用ゐる逃げ來ませるを、猶追ひて、黃泉比良此の二字は音を用ゐるの坂の坂本に到る時ときに、其の坂本なる桃の子を三箇取りて待擊ばひしば、悉に逃げ迯りき。爾に伊邪那岐命、其の桃の子に告たまはく、汝如吾あを助けしがこと、葦原の中國に有らゆる、宇都志伎此の四字は音を用ゐる青人草の、落苦瀬而患惚時、助けよ。意富加牟豆美命意自り美に至るまで音を用ゐるという名を賜ひき。
伊邪那岐命はどうしても愛妻の伊邪那美命に会いたく思われて、黄泉の国にお出でになりました。伊邪那美命がその扉から迎え出られたので、伊邪那岐命は「愛しい妻よ、私と一緒に造った国は、まだ造り終えていない。帰ってまた続けようじゃないか」と仰いました。伊邪那美命は「ああ、残念だわ、もっと早くいらっしゃらなかったのが。私はもう黄泉の国の食べ物を食べてしまったの。でも私の愛しい夫がおいでになったのは畏れ多いことだから、帰ってもいいかどうか、黄泉の神と相談してみるわ。その間、私の姿を見ないでね」と仰って黄泉の宮殿の中にお入りになられました。伊邪那岐命はあまり長い間待たされたので待ちきれなくなられ、みずらに指してあった湯津津間櫛の男柱一つを折り取って火を灯して、中に入って覗いて見られたら、妻の体にはびっしりと蛆が取りつき、頭には大雷がおり、胸には火雷、腹には黒雷、陰部には拆雷、左手には若雷、右手には土雷、左足にも鳴雷、右足に伏雷、あわせて八つの雷神が生まれていた。これを見て伊邪那岐命は恐怖に駆られ、逃げ帰ろうとなされた。妻の伊邪那美命は「私に恥をかかせたな」と仰って、すぐに豫母都志許賣(黄泉の醜女:しこめ)たちに後を追わせたのです。そこで伊邪那岐命は頭の鬘を取って投げ捨てなさったところ、それがぶどうになりました。黄泉の醜女たちがこれを取って食べる間にお逃げになったが、またも追ってきました。そこで右のみずらに刺してあった湯津津間櫛の櫛の歯を引き欠いて投げ散らしなさったところ、それがすべて筍になりました。黄泉の醜女たちがこれを抜いて食べる間にお逃げになった。その後、伊邪那美命はその八種の雷神と千五百の黄泉の軍兵たちに後を追わせました。そこで伊邪那岐命は帯びていた十拳剣を抜いて、背後を切り払いながらお逃げになられたが、なおも追って、黄泉比良坂のふもとまでやって来たときに、その坂本にあった桃の実をお取りになって、待ち受けて投げつけられたところ、追っ手はことごとく逃げ帰って行きました。そこで伊邪那岐命は、その桃に向かって「汝は私を助けたように、葦原の中つ国に生きる人々が苦難に陥ったときには助けよ」と命じ、「おおかむづみの命」という名をお与えになられました。
最後其妹伊邪那美命身自追來焉爾千引石引塞其黃泉比良坂其石置中各對立而度事戸之時伊邪那美命言愛我那勢命爲如此者汝國之人草一日絞殺千頭爾伊邪那岐命詔愛我那邇妹命汝爲然者吾一日立千五百產屋是以一日必千人死一日必千五百人生也故號其伊邪那美神命謂黃泉津大神亦云以其追斯伎斯此三字以音而號道敷大神亦所塞其黃泉坂之石者號道反大神亦謂塞坐黃泉戸大神故其所謂黃泉比良坂者今謂出雲國之伊賦夜坂也
最後に其の妹伊邪那美命、身自ら追ひ來ましき。爾ち千引石を其の黃泉比良坂に引き塞て、其の石を中に置きて、各對き立たして、事戸を度す[七]時に、伊邪那美命言しのたまはく、愛しき我あが那勢命、如此爲たまはくは、汝の國の人草、一日に千頭を絞り殺さな。爾に伊邪那岐命詔たまはく、愛しき我が那邇妹命、汝然爲たまはば、吾は一日に千五百產屋立ててな。是を以て一日に必ず千人死に、一日に必ず千五百人生まるる。故、其の伊邪那美神命を黃泉津大神と號すと謂ふ。亦、其の追斯伎斯此の三字は音を用ゐるに以りて、道敷大神と號すと云へり。亦其の黃泉坂に塞れりし石は、道反大神と號し、亦塞坐黃泉戸大神と謂す。故、その所謂黃泉比良坂は、今出雲國の伊賦夜坂[八]となも謂ふ。
最後に伊邪那美命自身が追ってこられた。そこで伊邪那岐命は千人がかりでなければ動かせない大きな石を、黄泉比良坂を塞ぐように置きになられて、その石を間に挟んで妻に向かい、絶縁を申し渡されました。すると伊邪那美命は「愛しいあなた、こんな風にされたからには、あなたの国の人々を毎日千人殺してあげましょう」と仰った。そこで伊邪那岐命は「あなたがそうするなら、私は毎日千五百人の産屋を建てるだろう」と仰った。こういうわけで、現世の人は毎日千人が死に、毎日千五百人が生まれるのです。このため、伊邪那美命を黄泉の大神といいます。また追ってきたことから道敷の大神ともいいます。またその黄泉比良坂を塞いだ大石を道返しの大神とも、塞坐黄泉戸大神ともいいます。この黄泉比良坂は、今の出雲国の伊賦夜坂というところです。
是以伊邪那伎大神詔吾者到於伊那志許米上志許米岐此九字以音穢國而在祁理此二字以音故吾者爲御身之禊而到坐竺紫日向之橘小門之阿波岐此三字以音原而禊祓也故於投棄御杖所成神名衝立船戸神次於投棄御帶所成神名道之長乳齒神次於投棄御囊所成神名時量師神次於投棄御衣所成神名和豆良比能宇斯能神此神名以音次於投棄御褌所成神名道俣神次於投棄御冠所成神名飽咋之宇斯能神自宇以下三字以音次於投棄左御手之手纒所成神名奧疎神訓奧云於伎下效此訓疎云奢加留下效此次奧津那藝佐毘古神自那以下五字以音下效此次奧津甲斐辨羅神自甲以下四字以音下效此次於投棄右御手之手纒所成神名邊疎神次邊津那藝佐毘古神次邊津甲斐辨羅神右件自船戸神以下邊津甲斐辨羅神以前十二神者因脱著身之物所生神也
是を以て伊邪那伎大神の詔たまはく、吾は伊那志許米上志許米岐此この九字は音を用ゐる穢き國に到りて在り祁理此この二字は音を用ゐる。故、吾は御身まの禊ひ爲な[九]。竺紫の日向の橘の小門の阿波岐此の三字は音を用ゐる原に到坐して、禊ぎ祓ひたまひき。故、投なげ棄つる御杖に成りませる神の名は、衝立船戸神。次に投げ棄つる御帶に成りませる神の名は、道之長乳齒神。次に投げ棄つる御囊に成りませる神の名は、時量師神。次に投げ棄つる御衣に成りませる神の名は、和豆良比能宇斯能神此の神の名は音を用ゐる。次に投げ棄つる御褌に成りませる神の名は、道俣神。次に投げ棄つる御冠に成りませる神の名は、飽咋之宇斯能神宇自り以下の三字は音を用ゐる。次に投げ棄つる左の御手の手纒に成りませる神の名は、奧疎神奧を訓みて於伎と云ふ。下も此に效ふ。疎を訓みて奢加留と云ふ。下も此に效ふ。次に奧津那藝佐毘古神那自り以下五字は音を用ゐる。下も此に效ふ。次に奧津甲斐辨羅神。甲自り以下四字は音を用ゐる。下も此に效ふ。次に投げ棄つる右の御手の手纒に成りませる神の名は、邊疎神。次に邊津那藝佐毘古神。次に邊津甲斐辨羅神。右の件、船戸神自り以下、邊津甲斐辨羅神以前まで、十二神は、身に著ける物を脱ぎうてたまひしに因りて、生りませる神也。
現世にお戻りになられた伊邪那岐の大神は「ああ、私は醜く汚らわしい国に行ってきたものだ。身の穢れを祓い落とそう」と仰って、筑紫の日向の橘の小門というところにある阿波岐原に赴いて祓えを行われました。持っていた杖を投げ捨てたところ、衝立船戸神という神様がお生まれになられました。次に帶を投げ捨てたところ、道之長乳齒神という神様がお生まれになられました。次に上に着けた裳(も)を投げ捨てたところ、時置師神という神様がお生まれになられました。次に衣を投げ捨てたところ、和豆良比能宇斯能神という神様がお生まれになられました。次にはかまを投げ捨てたところ、道俣神という神様がお生まれになられました。次に冠を投げ捨てたところ、飽咋之宇斯能神という神様がお生まれになられました。次に左手の手纒(たまき)を投げ捨てたところ、奧疎神という神様がお生まれになられました。続いて奧津那藝佐毘古神がお生まれになり、さらに奧津甲斐辨羅神という神様がお生まれになられました。次に右手の手纒を投げ捨てたところ、邊疎神という神様がお生まれになられました。続いて邊津那藝佐毘古神がお生まれになり、さらに邊津甲斐辨羅神という神様がお生まれになられました。ここで船戸神から邊津甲斐辨羅神まで、合わせて十二神は、身に着けたものを脱ぎ捨てることによって生まれた神様です。
於是詔之上瀬者瀬速下瀬者瀬弱而初於中瀬墮迦豆伎而滌時所成坐神名八十禍津日神訓禍云摩賀下效此次大禍津日神此二神者所到其穢繁國之時因汚垢而所成神之者也次爲直其禍而所成神名神直毘神毘字以音下效此次大直毘神次伊豆能賣神幷三神也伊以下四字以音次於水底滌時所成神名底津綿上津見神次底筒之男命於中滌時所成神名中津綿上津見神次中筒之男命於水上滌時所成神名上津綿上津見神訓上云宇閇次上筒之男命此三柱綿津見神者阿曇連等之祖神以伊都久神也伊以下三字以音下效此故阿曇連等者其綿津見神之子宇都志日金拆命之子孫也宇都志三字以音其底筒之男命中筒之男命上筒之男命三柱神者墨江之三前大神也於是洗左御目時所成神名天照大御神次洗右御目時所成神名月讀命次洗御鼻時所成神名建速須佐之男命須佐二字以音右件八十禍津日神以下速須佐之男命以前十四柱神者因滌御身所生者也
是に、上瀬は瀬速し、下瀬は瀬弱しと詔ごちたまひて、初めて中瀬に墮り迦豆伎て滌ぎたまふ時に、成り坐せる神の名は、八十禍津日神禍を訓みて摩賀と云ふ。下も此に效ふ。次に大禍津日神。此の二神は、其の穢き繁國に到りましし時の、汚垢に因りて成りませる神也。次に其の禍を直さんと爲て成りませる神の名は、神直毘神毘の字は音を用ゐる。下も此に效ふ。次に大直毘神。次に伊豆能賣神幷せて三神也。伊の以下四字は音を用ゐる。次に水底に滌ぎたはふ時に、成りませる神の名は、底津綿上津見神。次に底筒之男命。中に滌ぎたまふ時に、成りませる神の名は、中津綿上津見神。次に中筒之男命。水の上に滌ぎたまふ時に、成りませる神の名は、上津綿上津見神。上を訓みて宇閇と云ふ。次に上筒之男命。此の三柱の綿津見神は、阿曇連等之祖神と以伊都久神也伊の以下三字は音を用ゐる。下も此に效ふ。故、阿曇連等は、其の綿津見神の子、宇都志日金拆命の子孫也宇都志の三字は音を用ゐる。其の底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命、三柱の神は、墨江の三前の大神也。是に左の御目を洗ひたまひし時に、成りませる神の名は、天照大御神。次に右の御目を洗ひたまひし時に、成りませる神の名は、月讀命。次に御鼻を洗ひたまひし時に、成りませる神の名は、建速須佐之男命須佐の二字は音を用ゐる。右の件、八十禍津日神以下、速須佐之男命以前、十四柱の神は、御身を滌ぎたまふに因りて生れませる者也。
さて禊ぎをしようとなされましたが「上流は水の流れが激しすぎる。しかし下流は穏やかすぎる」と仰って、中流付近に降りられて水に入られたとき、初めにお生まれになられた神様の名を八十禍津日神、次に大禍津日神と申します。この二柱の神様は、あの穢れの多い国に行った時の穢れからお生まれになったのです。次にその禍(まが)を直そうとして生まれた神様の名は神直毘神、次に大直毘神、伊豆能賣神と仰います。(合わせて三柱)。次に水底で身をお洗いになられた時にお生まれになられた神様の名は底津綿津見神、次に底筒之男命と仰います。中程で身をお洗いになられた時にお生まれになられた神様の名は中津綿津見神、次に中筒之男命と仰います。水面で身をお洗いになられたときにお生まれになられた神様の名は上津綿津見神、次に上筒之男命と仰います。この三柱の神は、阿曇の連たちが祖先神として崇める神様です。つまり阿曇連たちは、この綿津見の神の子、宇都志日金拆命の子孫です。この底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命の三柱の神は、墨之江(住吉)の大神です。さらに左の目をお 洗いになられたところ、天照大御神という名の神様がお生まれになられました。次に右の目をお洗いになられたところ、月読命という神様がお生まれになられました。次に鼻をお洗いになられたところ、建速須佐之男命という神様がお生まれになられました。この条で八十禍津日神から速須佐之男命まで、合わせて十四柱の神は、禊ぎによってお生まれになられた神様です。
此時伊邪那伎命大歡喜詔吾者生生子而於生終得三貴子卽其御頸珠之玉緖母由良邇此四字以音下效此取由良迦志而賜天照大御神而詔之汝命者所知高天原矣事依而賜也故其御頸珠名謂御倉板擧之神訓板擧云多那次詔月讀命汝命者所知夜之食國矣事依也訓食云袁須次詔建速須佐之男命汝命者所知海原矣事依也
此の時、伊邪那伎命、大く歡喜して詔たまはく、吾は子を生生て生みの終に、三の貴子を得たり、卽て其の御頸の珠之玉緖母由良邇此の四字音を用ゐる。下も此に效ふ取り由良迦志て、天照大御神に賜ひて詔たまはく、汝が命は、高天原を知らせと、事依賜ひき。故、其の御頸の珠の名を、御倉板擧之神と謂す板擧を訓みて多那と云ふ。次に月讀命に詔たまはく、汝なが命は、夜の食國を知らせと、事依たまひき食を訓みて袁須と云ふ。次に建速須佐之男命に詔たまはく、汝が命は、海原を知らせと、事依たまひき。
この時、伊邪那岐命は大いにお喜びになられて「私は国土や神々を生んできたが、ついにこの上なく貴い三柱の御子を得た」と仰いました。そして首に掛けていた玉の緒をゆらゆらと振り動かし、天照大御神に「お前は高天の原を治めよ」とお命じになられ、玉をお授けになりましたた。この首の玉を御倉板擧之神と呼びます。次に月読命に対しては「お前は夜の国を治めよ」とお命じになられました。次に建速須佐之男命に対して「お前は海原を治めよ」とお命じになられました。
故各隨依賜之命所知看之中速須佐之男命不知所命之國而八拳須至于心前啼伊佐知伎也自伊下四字以音下效此其泣狀者青山如枯山泣枯河海者悉泣乾是以惡神之音如狹蠅皆滿萬物之妖悉發故伊邪那岐大御神詔速須佐之男命何由以汝不治所事依之國而哭伊佐知流爾答白僕者欲罷妣國根之堅洲國故哭爾伊邪那岐大御神大忿怒詔然者汝不可住此國乃神夜良比爾夜良比賜也自夜以下七字以音故其伊邪那岐大神者坐淡海之多賀也
故、各隨依賜へる命の、看知ろすめす中に、速須佐之男命、命之國を知らさずて、八拳須心に至るまで、啼き伊佐知伎伊自り下四字は音を用ゐる。下も此に效ふ。其の泣きたまふ狀は、青山を枯山如す泣なき枯らし、河海は悉く泣き乾しき。是を以て惡神の音、狹蠅如す皆滿、萬の物の妖悉に發りき。故、伊邪那岐大御神、速須佐之男命に詔たまはく、何由以、汝は事依之國を治らさずして、哭き伊佐知流。爾に答白したまはく、僕は罷妣國根の堅洲國にまからんとおもふが故に哭く。爾に伊邪那岐大御神大く忿怒して詔たまはく、然者汝此の國にはな住みそ、乃ち神夜良比爾夜良比賜ひき夜自り以下七字は音を用ゐる。故、其の伊邪那岐大神は、淡海の多賀に坐します。
こうしてそれぞれ命ぜられた国を治めることになりましたが、そのうちで速須佐之男命だけは、言われた国を治めようとせず、ひげが長く伸びて胸に届く年頃になっても、大声で泣き続けていた。その様子は青山が枯れ山にやるほど泣き枯らし、海と川の水をすっかり干上がらせてしまうほどすさまじかったのです。そのため悪神がやって来て地に満ち、あらゆる災いが起こりました。そこで伊邪那岐命は速須佐之男命に「お前はなぜ国を治めようとせず、泣き続けているのか」と尋ねたところ「私は母の住む国、根の堅州国に行きたいから泣いているのです」とお答えになられた。伊邪那岐命は激怒して「お前はこの国に住んではならん」と言って、追い出しておしまいになられました。その後伊邪那岐命は、近江の多賀にお住みになられました。