『礼記』抜粋

『礼記』

『礼記』(らいき)とは、代までに儒学者がまとめたに関する書物を、戴聖が編纂したものである。全四十九篇。代以降、五経のひとつとして尊重された。現在伝わっている『礼記』には、後漢鄭玄注や孔穎達疏の『礼記正義』(『十三経注疏』のひとつ)、陳澔の注釈した『礼記集説』など、多数が存在する。

王制篇より抜粋

王者之制祿爵公侯伯子男凡五等諸侯之上大夫卿下大夫上士中士下士凡五等

王者の制、祿爵ろくしやくは公、侯、伯、子、男、およそ五等。諸侯の上大夫じようたいふけい下大夫かたいふ上士じようし中士ちうし下士かしおよそ五等。

王者の制度で扶持と位は、公、侯、伯、子、男のあわせて五等級がある。諸侯の上大夫を卿といい、下大夫、上士、中士、下士の五等級がある。

中國戎夷五方之民皆有其性也不可推移東方曰夷被髮文身有不火食者矣南方曰蠻雕題交趾有不火食者矣西方曰戎被髮衣皮有不粒食者矣北方曰狄衣羽毛穴居有不粒食者矣中國夷蠻戎狄皆有安居和味宜服利用備器五方之民言語不通嗜欲不同達其志通其欲東方曰寄南方曰象西方曰狄鞮北方曰譯

中國、戎夷じういは、五方の民にて、みなの性有るなり、推移す可からず。東方はふ。被髮にして身を文し、火食せざる者有り。南方はばんふ。雕題てうだいしてあしまじへ、火食せざる者有り。西方をじうふ。被髮にして皮を衣とし、粒食せざる者有り。北方をてきふ。羽毛を衣として穴居し、粒食せざる者有り。中國、夷、蠻、戎、狄、みな安んずる居、やはらぐ味、ぶる服、利せる用、備はれる器有り。五方の民は、言語通じず、嗜欲しよく同じからず。の志を達し、の欲通ずるを、東方で寄とひ、南方でしやうひ、西方で狄鞮てきていひ、北方でえきふ。

中国には戎夷を含めて、五方に民族があり、皆それぞれに特徴があるのであり、あえて変えようとしてはならない。東方は夷という。頭に冠も載せず、体に入れ墨をしていて、生ものを食べるところもある。南方は蠻という。額に彫りものをして両足の指を向かいあわせて歩く習わしで 、生ものを食べるところもある。西方を戎という。頭に冠も載せず、動物の皮を衣服にしており、穀物を食べないところもある。北方を狄という。羽毛を衣服にして穴蔵に住んでおり、穀物を食べないところもある。中國、夷、蠻、戎、狄は皆、それぞれに、安心していられる住居の形があり、口に合うような調味があり、適切な衣服があり、役に立つ能力があり、目的にあった器を備えている。五方の民は、互いに言語が通じず、好んで欲しがるものも同じではない。それぞれやりたいことを伝え、望むところを通じるようにすることを、東方では寄といい、南方では象といい、西方では狄鞮といい、北方では譯という。

曲禮篇下より抜粋

九州之長入天子之國曰牧天子同姓謂之叔父異姓謂之叔舅於外曰侯於其國曰君其在東夷北狄西戎南蠻雖大曰子於內自稱曰不穀於外自稱曰王老庶方小侯入天子之國曰某人於外曰子自稱曰孤

九州の長は天子の國に入りて牧とふ。天子の同姓はこれ叔父しゆくふひ、異姓はこれ叔舅しゆくきうひ、外では侯とひ、の國ではくんふ。東夷とうい北狄ほくてき西戎せいじう南蠻なんばんるは、大といへども、子とふ。內ではみずかしようして不穀ふこくひ、外ではみずかしようして王老おうろうふ。庶方の小侯は天子の國に入りて某人とひ、外では子とひ、みずかしようしてふ。

諸侯が天子の国に入ると牧と呼ばれる。天子の同姓の諸侯を叔父といい、異姓の諸侯は叔舅といって、自分の国の外では侯と呼ばれ、自分の国では君と呼ばれる。国が東夷、北狄、西戎、南蠻にある場合は、大国であっても子と呼ばれる。自分の国では不穀と自称し、自分の国の外では王老と自称する。あちらこちらの小国の君主が天子の国に入ると某人と呼ばれ、自分の国の外では子と呼ばれて、孤と自称する。


二〇一三年八月十三日 初版