金のためなら国を売る企業人
アゴラに「なぜ領土紛争は国民を熱くするか」「もともと我々の領土という愚」という記事が掲載されています。執筆者は石水智尚さんと仰る中国でビジネスを展開している企業の経営者です。それぞれの記事について詳しい内容は実際に読んで頂くとして、ここではこの記事の問題点を取り上げたいと思います。
氏は「もともと我々の領土という愚」で「北方領土も尖閣諸島も経済的メリットを優先して国民を説得しろ」と主張しています。端的に言うと「争っても金にならないのだからくれてやれ」ということです。ただし最後に尖閣諸島を最初に発見したのは中国だと付け足すことを忘れていません。暗に「もともとは中国の領土」だと言ってるわけです。だからタイトルも「もともと我々の領土という愚」なわけですね。
それはともかく、確かに尖閣諸島は無人島群ですし、周辺の海域にあるという海底資源もその価値は未知数です。否定的な議論もあります。ならあげればいいじゃないかと単純に思う人がいても不思議はありません。しかし、ことはそう単純ではありません。それは前回のエントリで書いた通りです。まるで台湾とは尖閣諸島で問題が起きていないかのようにスルーするのは中国一辺倒の企業人によくある精神的盲目というやつです。自分に都合の良いことしか目に入らないその利益至上主義が、戦前の中国進出、満州国建国、日中戦争へと至る流れを作り出したという反省が微塵もありません。この手の人間が我が身やその利権に危機が迫ると戦争を声高に主張したのだということを我々は忘れてはなりません。
そして、もちろんそんな粗雑な議論(というより暴論ですが)に対して反論が相次いだわけです。のらりくらりと本題をかわし、コメント欄での議論をそらして何とか終息させたものの、腹に据えかねたのか、今度は「なぜ領土紛争は国民を熱くするか」という記事を投稿します。冒頭の言葉がふるってます。
人間というのは自分の土地に対して強烈な所有欲を有しているようです。多くの人間が集まった国家というのは、更に強烈な領土欲を持っているようです。自分が所有している訳でもない辺境のゴミのような島に対して、なぜ国民は強い執着を持っているのでしょうか。
ここだけ見れば中国を非難しているように見えますが、元記事を読めばおわかりの通り、これは日本に対する非難です。呆れてものも言えません。強盗が武器を片手に財布をよこせと詰め寄ってくるのに抵抗している被害者にさっさと財布を渡せと強弁しているのです。どうやら中国進出企業の経営者というのは倫理観まで麻痺してしまうようです。確かに日中間でゴタゴタが続けばやりにくくなるのでしょうが、あまりにも自己中心的で同情する気にもなれません。頼みもしないのに、儲かりそうだからと勝手に出て行ったのですから、自分の尻くらい自分で拭く決意があるのかと思いきやとんでもない。泣きつく先が間違っているし、日本人は手痛い教訓を得ているので二度も騙されたりしないということが分かっていません。そんな輩は見捨ててしまえばよいのです。
元記事に話を戻せば、ここで筆者はたとえ話を持ち出しますが、これまた意味不明です。隣家が自分の土地を勝手に使ってると判明したので土地境界の争いが始まりました。それだけです。現実にこういう事が起きれば登記簿を取り寄せて談判するなり、裁判を起こすなりの行動が続くのですが、何がいいたいのでしょうね。一体、どちらが日本でどちらが中国だといいたいのでしょうね。現状認識もできないなら下手なたとえ話はやめることです。
このたとえになっていないたとえ話に続けて、
個々の人間でも、土地に対する執着はなみなみならぬものがあるようです。これが国家となったらどうなるでしょうか。日本は、韓国とは竹島、ロシアとは北方領土、中国とは尖閣諸島で領土問題を抱えています。
と論じます。外交や国防を土地に対する執着とすりかえる筆者お得意の詭弁です。おまけに政府の公式見解では尖閣諸島に領土問題は存在しないことになっているのですが、そこは頬被りです。どこの国の国民だって領土が削られるとなれば反対します。まるで日本だけが特殊なような書き方ですが、その中国があちこち手を出して紛争や戦争を起こしてきたのも当局の見解は「失われた領土を回復しているだけ」というものであり、まさしく削られた領土を取り戻しているのだと執着を露わにしているではないですか。
そして結語がまた笑わせてくれます。
たとえば尖閣諸島の問題では、経済的妥協案に反対する方の意見を、もともと我々の領土という愚のコメント欄で沢山頂きました。それらの多くは、中東に匹敵する油田があるとか、潜水艦基地ができるとか、シーレーンが危ないとか、次は沖縄が取られるとか、誇大妄想的な意見が多かったと感じています。そういう荒唐無稽な意見を真面目に主張する方が多いという事が、領土問題が人間の心理に与える影響の強さを物語っているようです。
油田はともかくとして、中国が公式に策定している戦略に基づく反論を誇大妄想の一言で切って捨てるその媚中姿勢はいっそ清々しいとすら言えます。自分の不勉強を棚に上げて中国礼賛に終始する姿は、かつて満州を新天地と礼賛した戦前の経済人の姿そのものです。詳しくはそのコメント欄を読んで頂ければ理解されると思いますが、それぞれの反論は荒唐無稽でも何でもありません。今まで中国がしてきたことを単に敷衍しただけの反論に対して筆者が的確に応酬できないでいるだけのことです。痛いところを突かれれば議論をそらし、あるいは問題の矮小化を試み、立場のすり替えを行い、それもできなければ反論などなかったかのように無視するという態度にコメントをつけた方々は明らかに苛立っています。私は人間、欲が絡めばこうも愚かになるのかと拝読しておりましたが、筆者はその自己中心的なものの見方や媚中姿勢を変えるつもりはないようです。
領土問題に国民感情が絡まないということはありません。国家とは領土とそこに住まう人々なしでは成立しません。その意味で領土が取られるということは、ダイレクトに感情へ訴えるものがあることは事実です。しかし、尖閣諸島の問題は、現実に反日政策を取り、現実に軍事的実力を持ち、現実に領土的野心がある国家、中華人民共和国が相手であるからこそ国民的関心事になっているわけです。帰属が不確かな絶海の孤島の取り合いなどではないのです。それを誇大妄想だの荒唐無稽だのと言って揶揄し、問題を矮小化して自説を押し通そうとする無理が、筆者の議論を底の浅い、いかにも商売人の小理屈にしてしまっています。このような商売人のポジショントークにわれわれは騙されないようにしなくてはなりません。さもないと、詐欺の片棒どころか、戦前のように亡国の片棒を担がされかねません。