売国奴お断り - No Traitors Allowed

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日本の古代史を考える—補足2「新唐書」

新唐書』は、明らかに『日本書紀』を参照しているし、『新唐書』が書かれた頃には「倭」は「日本」に併呑されて随分経っているから、もういいやと思っていたのですが、一応目だけは通しておくかと思って東夷伝日本条を眺めていたら、意外な表現に出会いました。

次用明亦曰目多利思比孤直隋開皇末始與中國通

次は用明である。また多利思比孤の属官であったとも伝える。開皇の末に初めて中国と直接通交した。

元々「日本」は「倭」の属国で、「開皇の末」ということはまさに六世紀末葉に「初めて」中国に使いを遣わせたとあります。『新唐書』の編纂者はもちろん「倭」が遠く三国志の「」の頃から「」に至るまで延々と中国に朝貢してきたことは知っていたので、「日本」=大和朝廷が「倭」ではないことをはっきり示しているのです。

むろんこれには異論もあります。「目」には「〜と称する」という意味がありますので、これを

次は用明である。また多利思比孤と称していたとも伝える。開皇の末に初めて中国と直接通交した。

と解釈する意見です。なるほど、それなら確かに「日本書紀」とも辻褄が合いそうです。ですが、それでは逆に「開皇末始與中國通」の意味が通りません。「倭」が三国時代の「」からずっと朝貢してきた歴史を無視する暴論です。それとも、「新唐書」を編纂した欧陽脩はそこまで無知だったのでしょうか。