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日本の古代史を考える—補足7『論衡』

2013-06-30 歴史 日本史

後漢時代に王充が著した『論衡』は、当時流行していた讖緯説・陰陽五行説に基づく迷妄虚構の説・誇大な説などの不合理を徹底的に批判した書物です。ですので、以下の記述を虚妄であると片付けることはできません。

之時 天下太平 倭人來獻暢 草 (第五卷 異虚第十八)
時天下太平 越裳獻白雉 倭人貢鬯草 (第八卷 儒增第二十六)
成王之時 越常獻雉 倭人貢暢 (第十九卷 恢國第五十八)

ところがこの記述は認めても、ここで言う「倭人」は日本人のことではなく、江南の人々を指したものだとする解釈を見かけました。というより、まるで既定の事実であるかのような扱いです。馬鹿も極まると妄言が激しくなるものだと思いました。日本の学者は駄目すぎます。

この「倭人」が「江南人」であるという根拠は、「暢」「鬯」と書かれているものに求められています。そこでまず「暢」を漢字辞書で調べてみます。「まつりに使う酒。鬯と同じ」とありますので、次に「鬯」を調べます。「香草の名前。鬱金草のこと」とあります。では鬱金草を調べてみましょう。「鬱金草(うこんそう)のこと。みょうが科の多年草。冬に地下茎から黄色の染料を取る。また、むかしこれを酒にひたして鬱鬯を作った。鬱金香をひたすという説は誤り」とあります。どうやらウコンのことのようです。ちなみに「鬱鬯」は、「鬱金草の地下茎をついて、煮て、まぜた黒きびの酒。まつりに用いた」とあります。ところが、ウコンは西暦659年の唐本草(新修本草)という本に見えるのが初出で、その頃、つまり初唐の頃中国にもたらされたと考えられているのです。ということは、鬯はウコンではないことになります。

他に鬯について書かれた本はないかと探したところ、『山海経箋疏』という『山海経』の注釈に鬯とは霊芝のことであると載っているのが見つかりました。やったね、これで解決だと馬鹿な学者は躍り上がって喜んだのですが、これは(西暦1644年〜1912年)の郝懿行(かくいこう)が付けた註です。郝懿行はその情報をどうやって入手したのでしょう。しかも、霊芝は爾雅にも「芝」として記載されているのですから、王充がわざわざ別名で書いたことにしなくてはなりません。ところでその『山海経箋疏』はどれくらい信憑性があるのでしょう。千五百年も前の王充が示した言葉の意味が伝わっていたとは考えられません。それならそもそも議論になったり、注釈を付けたりする必要がないからです。郝懿行がいかに優れた学者であったとしても、それだけで「鬯」=「霊芝」説が正しいとはできません。おそらく、郝懿行もウコンが代にないのは知っていたので献上品に相応しい植物として霊芝を挙げたのでしょう。つまり、この「鬯」=「霊芝」説も実は根拠となると非常に怪しいのです。

なのになぜ、「鬯」=「霊芝」説が定説のように語られ、それに基づいて『論衡』に現れる「倭人」が江南の人々であると断定されるのでしょうか。それは、縄文時代へ朝貢できるような文化が日本にあったはずはないという思い込みです。学者には縄文土器に見られる美意識など感じ取ることもできないのでしょう。実に下らないお遊びで税金を空費してくれるものです。

ところで面白いことに、中国の方がそのような「倭人」=「江南人説」(実際は広く、「中国、朝鮮居住説」と言うべきですが)に真っ向から反駁しておられます。北京大学歴史学部に勤めておられた沈仁安教授です。沈教授は、越常は中国南方の種族の一つで、倭人も南方というのでは四夷来朝という思想に合わない。故にこの倭人は東方=日本の倭人を指すものと見なすべきであり、王充の弁論の方法は実証を重視しているので、列挙した史料は確かな根拠のある歴史的事実であると断定されています。私もそう思います。後漢時代は儒教の時代でした。孔子は怪力乱心を語らずと言ったにもかかわらず、様々に怪しい論説が横行したのです。王充はそれを徹底的に批判しているのです。その本人が出所のあやふやな、あるいは「倭」と言って他の地方の人間を指すようないい加減な言説を自著に取り込むなどあるはずもありません。王充が単に「倭人」と言ったということは、日本列島に居住する人々を指して述べたのです。(なお、参考として、古代史に遊ぼう—倭と倭人(中国の文献から見た)—第13回をご覧になって下さい)

事実をありのまま見て、それが何を意味するかを考えるのが学者あるいは知識人の本来の役割です。その役割を予断に基づいて放棄して遊んでいるような輩はすぐに馘首すべきだと思うのですが、皆さんはどうお考えですか。