売国奴お断り - No Traitors Allowed

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婚姻制度の歴史を考える—②私有婚と私有制度・身分制度

ヒトの始原が族長婚(集中婚)であることは前に述べた。では、現在に続く一夫一婦制度とそれに基づく私有制度はどのようにして生まれたのだろうか。言うまでもないが、私有制度は、私有という観念が確立していないと生まれ得ない制度である。その私有観念を生み出したものを、それが基づく制度である一夫一婦制に求めるのは当然の論理であろう。

元々厳しい生存環境に置かれていたヒトは、気候変動の影響で乾燥化が広域で進んだりするとたちまち食糧難に陥る。事実、人類がそのほとんどの期間生き延びざるを得なかった更新世の氷河期は、600万年前に始まり、1万年前に終わっている。その間、氷期と間氷期が繰り返され、気候が変動し続けたのである。食糧難に陥った集団が選択できる行動は二つだけである。即ち、自滅するか他所から掠奪するかである。おそらく人口が少なく集団がまばらに存在していた人類の黎明期では掠奪しようにも近くに手頃な集団が存在する可能性は極めて低く、滅亡していった集団が数知れず存在したであろう。しかし、時代を経てヒトが世界中に広がり、居住可能域における人口密度が増大=集団数が増加するにつれ、掠奪という選択肢が現実のものとなっていく。こうして互いに掠奪しあう集団群ができ上がっていったと考えられる。

掠奪集団が食い詰めて他集団を襲撃した際、食料は集団が生き延びるために必要な物資であるため占有が許されるはずがない。これは農業生産が普及して食物が余剰に生産されるようになっても簡単に崩すことができない原則である。農業には豊凶があるため、余剰物は蓄えておき、凶作の年に備えるのが集団維持に置いて最優先され、これを犯すことは何人にもできないからである。(つまり、余剰生産物が私有の始まりだとする説は誤り)

しかし、襲撃の際、男は戦闘の前面に立つため殺されてしまうが、女が残る。族長婚を維持していたとはいえ、集団内の女がリーダー以外に手出しできないのに対し、また食料が個々の自由にできないのに対して、集団外の女はこれをどうするか宙に浮く。いや、戦働きでよく戦った者が報償としてその女を求めるのは至極当然の流れである。ここに集団の他の男が手出しできない占有対象としての女とそれを保証する制度が確立する。私有婚の始まりである。ヨーロッパや各地方にかつてあって掠奪婚は、この掠奪で得た女を自らのものにするという掠奪闘争最初期からの伝統であったのではないかと考えられる。

この私有婚は副産物として身分を生んだ。つまり、元々の集団にいたリーダーの妻であった女たちが産んだ子供らのグループ=リーダーに妻を出すことのできるグループと、外部から略奪されてきたリーダーの妻ではない女が産んだ子供らのグループ=リーダーに妻を出すことができないグループの分化である。このグループ分けは母から娘へと伝承されることにおいてのみ意味があり、これが母系の源流となったと考えられる。一方で掠奪や戦闘の最前面に立つ男たちが集団運営において実権を握るため、これが父権の源流となる。

しかし、これだけでは私有婚の成り立ちを考えることはできても、そこから私有制度が起こったと単純に飛躍することはできない。ただ、族長婚(集中婚)が原則の当時、そこへ行けば働き次第で女が手に入るというのは非常な魅力になったことは想像に難くない。加えて、気候変動による食糧難が掠奪集団化の契機であれば、食い詰め者が食料のあるところへ合流することも何ら不思議ではない。つまり、略奪集団が肥大化することは十分にありえる話なのである(狩猟採集だけを生業とする元来の集団は血族集団であるため、容易に肥大しない。食い詰め集団に合流されても同様に食料が足りないわけだから、受け入れないか掠奪集団化するかの二つに一つである)。そうすると組織論上、リーダーが一人で全体を統治することができる規模を簡単に越える。有能な配下を中間管理のために配置することは自然の理であろう。常に全体が一丸となって掠奪に赴くことは非現実的になり、集団内のグループ単位で掠奪を行い、全体を養うために必要な物資を納める(これが税の源流であり、この貢納が慣例化することで、支配者が税を取り立てる権限を持つ根拠となったのであろう)外はグループ単位で分配を決定することとなる。なぜなら、他のグループはその掠奪に何も貢献していないからである。これはまた逆も真なりで、他のグループの獲物の分配に容喙することは許されない。いずれの場合も集団の維持に必要な分は別に差し出されているのであるから、容喙のしようがないし、すれば集団が分裂する危機に陥る。実際それで分裂した集団もあったものと思われる。さらに集団が肥大すれば、グループ内にグループができ、と単位が細分化していき、その小グループ—おそらくそれは血縁ごとのグループだろうが—ごとに掠奪(あるいは狩猟や採取も同時に行っていたことは当然であろう)を行い、獲物を配分するようになる。この配分に他の小グループは容喙できないのは上で述べた通りである。この排他的な分配こそが、私有制度の嚆矢であろうと思う。現在我々が言う私有は個人私有であるが、これは近代に入ってから確立した観念であり、歴史的には氏族単位のつまり血縁グループによる私有が遙かに先にかつ長く存在したのである。

一方で戦闘が激化すればするほど—実際、農業生産への移行に伴い武力闘争は激化する。例えば日本においても、弥生時代に高地性集落や環濠集落が北九州を起点として、わずかな期間で東へ広がっていくのが何よりの証拠である—女を求める各個人の要求は無視できないものとなり、仮に掠奪で多くの女を引き連れて帰ることができるものがいたとしても常に全員を侍らせることは集団管理上不可能になってくる。俺にもよこせという横やりが入るということだ。また、一方で掠奪の度に女を増やしていたのでは集団が養える限度を簡単に超えてしまう。この両方の制約に答えるため、女は一人だけという一夫一婦制の原則が集団内部で打ち立てられたのであろう。ただしこれは西洋の事情であり、日本では様相を異にすることが、高群逸枝氏の研究以降、明らかになっている。

さらに時代が下ると、リーダーに婚姻する女を出す身分からリーダーを出す身分が分化する。それまでリーダーは、リーダーに妻を出す身分のものから合議で選ばれていたのが、血脈による継承へ移る。即ち王権の誕生である。王権とは集団を統率する権力であるから、父権原理が働き、これを男系で継承することを求める。やがて、掠奪や闘争の過程で既存のリーダーに不満を持ち、造反を試みる者が出てくる。これがリーダーを出す身分内のことであれば、単なるクーデターに過ぎず、身分秩序のフレームは維持されるが、やがてリーダーに妻を出せない身分の者が造反を成功させるようになる。そうなると既存の血脈は一切の意味を失い、一夫一婦制と父権原理だけが残ることになる。歴史の授業ではこの種の造反を「市民革命」などと称している。私有権は一夫一婦の家の主たる父に集約され、その分配行為は即ち個人の行為と変わらなくなる。私有権の行使が個人の行為と変わらない以上、同じ個人である妻や子もこれを求めて対抗しようとする。こうして「個人私有」という観念が考え出され、近現代の個人主義の土台となったのである。