婚姻制度の歴史を考える—④妻問婚
日本の古代—主に古墳時代から奈良時代にかけて—に婚姻様式として妻問婚が広く行われていたのは、周知の事実である。
では、妻問婚はいつ頃始まり、いつ群婚に取って代わったのであろうか。 筆者は、少なくとも縄文中期には妻問婚が始まっていたと考える。理由は以下の通りである。
①既に大規模集落が営まれており、集団が大規模化していたこと。
②勾玉の交易から明らかなように他集団との交流が活発であったこと。
③(同一血族を示すと思われる)抜歯の風習が始まったこと
日本の古代—主に古墳時代から奈良時代にかけて—に婚姻様式として妻問婚が広く行われていたのは、周知の事実である。
では、妻問婚はいつ頃始まり、いつ群婚に取って代わったのであろうか。 筆者は、少なくとも縄文中期には妻問婚が始まっていたと考える。理由は以下の通りである。
①既に大規模集落が営まれており、集団が大規模化していたこと。
②勾玉の交易から明らかなように他集団との交流が活発であったこと。
③(同一血族を示すと思われる)抜歯の風習が始まったこと
ヒトの始原が族長婚(集中婚)であることは前に述べた。では、現在に続く一夫一婦制度とそれに基づく私有制度はどのようにして生まれたのだろうか。言うまでもないが、私有制度は、私有という観念が確立していないと生まれ得ない制度である。その私有観念を生み出したものを、それが基づく制度である一夫一婦制に求めるのは当然の論理であろう。
元々厳しい生存環境に置かれていたヒトは、気候変動の影響で乾燥化が広域で進んだりするとたちまち食糧難に陥る。事実、人類がそのほとんどの期間生き延びざるを得なかった更新世の氷河期は、600万年前に始まり、1万年前に終わっている。その間、氷期と間氷期が繰り返され、気候が変動し続けたのである。食糧難に陥った集団が選択できる行動は二つだけである。即ち、自滅するか他所から掠奪するかである。おそらく人口が少なく集団がまばらに存在していた人類の黎明期では掠奪しようにも近くに手頃な集団が存在する可能性は極めて低く、滅亡していった集団が数知れず存在したであろう。しかし、時代を経てヒトが世界中に広がり、居住可能域における人口密度が増大=集団数が増加するにつれ、掠奪という選択肢が現実のものとなっていく。こうして互いに掠奪しあう集団群ができ上がっていったと考えられる。
続きを読む人類の始原における婚姻制が何であったかは歴史の遙か彼方のことでもあり、今でも判然としない。しかし血縁による集団を構築していたことはどうやら間違いのないことらしいので、これを出発点として、原始の婚姻制を考えてみたい。
当たり前のことだが、始原において、婚姻とは性交であった。これが何らの制約がない状態に集団が置かれると、乱婚に陥ることは現代日本を見ても明らかである。結婚するまでは処女でなくてはならず、結婚したら女の浮気は絶対にダメであり、すれば罪に問われる。のが、一夫一婦制度というものである。婚前交渉が花盛りで、不倫乱交が大手を振ってまかり通っている日本の現状を指すものではないことは明々白々としか言いようがない。それはともかく、人類の始原ではどうだったのか。
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